優しさをふりまくことでずっと生きてきた。
優しさに触れることより ふりまくことで
ずっと ずっと 今までやってきた
それでも損したなんて思ってないから今夜も
何とか自分で自分を守れ
人生は物語。
どうも横山黎です。
今回は「優しさをふりまく意義」というテーマで話していこうと思います。
◆最近よく相談を受ける
最近よく、人から相談を受けます。
自分の過去を振り返ってみると、いろんな人の相談を受けてきました。それも結構えぐめの。どうやら僕は相談されやすい人のようです。真面目っぽいし、口が堅そうだし、ちょうどいいんでしょうね(笑)
それにしても、最近はえぐめの相談が立て続けに持ち寄られています。恋愛相談に人生相談。決して他の人に言えないような秘密を明かしてくれる人もいます。
「なんで僕?」と戸惑いを隠せません。カウンセラーでもないし、心理学を研究している大学生でもありませんから。
でも、少なからず僕のことを信用してくれて、意を決して、不安になりながらも打ち明けてくれていると思うので、僕は全神経を集中させて相手の話に耳を傾けています。それが礼儀ってもんじゃん?
相談を受ける上で密かに決めていることがあります。
「僕も相手も納得するまでちゃんと話し合う」ということ。
もちろん話を聴くだけで、相手の心が背負う荷物を減らせます。ただ、相手の話を聴いただけで終わりにしてはいけないと思うのです。
過去には命にかかわるようなデリケートな内容のものもあったので、中途半端なままで終わってしまったら、取り返しのつかない事態を招くかもしれないと不安になるのです。
ですから、いつも責任を持って話を聴いています。
最後には、僕に相談して良かったと思ってもらえるように、僕は真剣に相手と向き合っているんです。
◆優しくすると決めている
相手が納得してくれるまでだったら、結構、自分のことをないがしろにできるんですよね、良い意味で(笑)
何時間でも話に付き合うし、相手の求めに応じて僕も行動に出ます。呑みにもいくし、奢ることもありました。
やれることは全部やろう。
埋められる穴は全部埋めよう。
相談1つをとっても、僕は必死です。
このように、相談を受けるのにも体力が要るわけですが、でも僕は絶対に断りません。自分の時間を削ってでも、SOSを受けたら応じます。
そういう僕の姿勢を見て、「優しい人だね」と言います。
その台詞を聞く度、別に今さら大したことないって思うし、不自由のない人生を送ってきたんだからそれくらいやらなきゃいけないでしょと思うのです。
優しくする。
そう決めているんです。
◆優しさをふりまく意義
僕だって人間だから、欲が無いわけではありません。相談に向き合うときも、心の奥の奥の奥の方で、エゴが目を覚ますんです。
いつか自分に還ってきてほしい。
願いのような欲が、僕の中にはあるのです。ただそれだけ。僕が相談を受けるときに現れる欲は、エゴは、それだけです。
相談を受けることに限らず、優しさをふりまくときの原動力は全部それ。
誰かが喜ぶようなことをする。
誰かを褒める。
悪口は言わない。
誘われたらできる限り応じる。
こういった行動を支えているのは、どこかの未来で意味や価値が生まれるはずだという願いだけです。
だからさ、もちろん苦しいとき、つらいときはあるんだ。
誰に対してもそんな振る舞いをしていたら、気を遣いすぎて心が擦り減るんだ。
迷路に迷い込んで、自分を見失うことだってある。
でもね。
僕はそれでいいと思っています。
伏線が回収される瞬間が、僕の大好物だからです。過去にふりまいた優しさが未来の自分に還ってくる瞬間を、僕はいつだって心待ちにしているからです。
僕は今、自分の本を手売りしています。まだ無名の作家が書いた本なんて、興味がなくて当然です。僕が頼りにしているのは、「これまでに築き上げてきた信頼」。
最近はよく小中高の同級生と再会する機会が多くありました。その際に「本、買うよ!」と言ってくれる人が少なくありません。自分の作品を届ける度に、僕は自分の人生が、生き方が間違っていなかったんだと思えるのです。
優しさをふりまく意義なんて、ふりまいたそのときに分かるものではありません。明日か、1カ月後か、1年後か、10年後か、あるいはもっと先か――。遠い未来のどこかで突然分かるものです。
気が付けば、自分は幸せを手にしているし、周りを見渡せば、いつの間にか仲間が増えているものです。
その場の欲に走れば一時的な幸せを感じることができます。ただ、僕の経験上、長い時間をかけて回収する幸せの方が大きいし、深みがあるし、価値があります。
これからも変わらず、優しさをふりまいていきます。
最後に、僕の大好きな曲をお送りしますね。
20221028 横山黎