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依存しないから持続する。

――noteにしろ、人間関係にしろ、仕事にしろ、ひとつの場所に留まるんじゃなくて、少しでもいいから変わり続ける。依存しないで変化し続けるからこそ、あらゆるものは続いていくのだと思います。


人生は物語。
どうも横山黎です。

作家として本を書いたり、木の家ゲストハウスのマネージャーをしたり、「Dream Dream Dream」という番組でラジオパーソナリティーとして活動したりしています。

今回は「依存しないから持続する。」というテーマで話していこうと思います。


🏨毎日note、毎日新鮮!

かれこれ3年以上noteの毎日投稿を続けていると、継続力がありますね、とか、よく続けられますよね、とか、そういう言葉をいただくんですけど、僕からしたら書きたいから書いているし、やりたいからやっているだけなんですよね。

でも、たとえば、「毎日短い小説を書く」とか「がっちり世界観をつくりにいく」とか、何かしら縛りをつくったら途端に義務感に苛まれる気がしてなりません。僕のnoteは公開日記なので、そこに書き記す内容は、極論、僕が見聞きしたこと、体験したことだったら何でもいいんです。

どこかへ小旅行しにいったらそのことを書くし、友達と呑みにいったらそのときのことを書く。時に教育的な視点の記事を書くこともあれば、小説を投稿することだってある。そんな風に、そのときにいちばん心が動く対象について書いているので、毎日新鮮な気持ちで臨むことができているんです。

なにかひとつに固執しないからこそ続いている。僕はそんな風に振り返っています。今日はそんな話をしていきます。


🏨長続きする関係の結び方

これはあらゆる「続ける」に通じる話だと思っていて、たとえば、人間関係にも当然いえることです。

僕は、自分が関係を長続きさせたいと思っているからこそ、人よりも長く続いている関係がいくつかあると自負しています。長続きする関係の結び方を少しは知っているつもりです。

とはいえ、とっておきの魔法なんかひとつもなくて、秘訣があるとするならば、「依存しない」という意識だけです。相手を大切にする」と「相手に依存する」は似て非なるもので、長続きする関係は前者の意識を持つことが必要なのです。

恋人への「毎日会いたい」という気持ちは僕はどちらかといえば「依存」に近いと思っていて、気持ちが溢れているのは確かだけど盲目になりすぎているおそれがあります。

僕だって今のパートナーと付き合いたての大学時代は、毎日会いたいから毎日会っていたんです。1日に5回くらい会うこともありました。一度別れて、別の場所で出会って、また分かれて、また別の場所で出会ってを繰り返す日もあったんです。でも、あの頃はいってしまえば「依存」していたから、周りのことが見えなくなっていてもそれはそれで構わなかったし、出会う度にときめきを感じていました。

でも、時は流れて、社会人になって、それぞれがそれぞれの置かれた場所で自分を磨き上げる時期になって、「依存」していても問題がなく過ごせるわけにはいかなくなってしまいました。

波風の立った社会の海を乗り越えて、かつ大切な人との関係を持続させようと思ったら、「依存」から距離を置いた方がいいと思うのです。

これはパートナーだけじゃなくて、友人もそうだし、あるいは家族もそうかもしれません。時間的、空間的な距離があるからこそ「依存」が薄れ、関係が長続きするという考え方ができるのではないでしょうか。

最近僕が擦り続けているnoteの記事に、「愛が結ばれて、人生の夜明け」という記事があって、これも「愛」のある関係を取り上げた話をしています。今や数カ月に1度しか会わないけれど、時折サシで呑みにいって語り合う関係の後輩がいるんです。たまに会うからこそ会いたいと思えるし、また次会うのが楽しみにできるんですよね。

中学時代からの親友とはかれこれ10年以上の付き合いになりますが、紆余曲折ありながらも今がいちばん仲良くやれていると胸を張れるのは、時間的にも、空間的にも距離を置いて、「依存」から遠い場所にいるからです。

その人がその人らしく輝いている状態をつくることこそが「相手を大切にする」ことならば、その人が自分を磨く時間を削ってはいけないし、関わるにしてもその光が失われないようにしないといけません。


🏨依存しないから持続する

仕事に関してもそう。朝から晩まで同じ作業をずっと続けていてください、と言われるのはさすがにしんどいじゃないですか。でも、業務内容がいろいろあるから、頭と身体の使い方に変化が生まれて、仕事を続けられる。

それは長期的にもいえることですね。

僕は新社会人1年目で木の家ゲストハウスのマネージャーとして活動しているんですけど、この4ヶ月半のなかでもフェーズが分かれているんです。

オーナーと僕

今年に入ったくらいに、僕は清掃バイトとして木の家ゲストハウスに関わり始めました。大学卒業間近の3月からは予約管理やメール対応など、基本的な作業を覚え始めました。春先になってお客さんも多くやってきて、チェックイン対応にも慣れていきました。

ゴールデンウィークのときは夜遅くまでお客さんの対応をして、それでもお客さんと夜な夜な語れる時間もあって、頑張ってきてよかったなとやりがいを感じることにもなりました。

5月の後半からオーナーが世界旅に出かけにいったので、ひとりで管理することになりました。別の管理のスタッフや清掃バイトと協力しながら、回していました。

7月以降、新規開拓のためにオーナーは宇都宮や前橋にいることが多くなり、僕がひとりで管理をすることの方が多くなりました。運営代行で他のゲストハウスの管理も請け負うようになったので、業務量はさらに増えています。

さらに、ありがたいことに関わってくれる仲間も増えてきたので、今はそれらすべての管理を行っているんです。人の上に立って、仕事をお願いする段階にいるんです。

夜な夜な仕事

話を元に戻しますね。

僕が木の家ゲストハウスの仕事をそれなりにモチベーション高くやり続けられているのも、ひとつの作業に依存していないからであり、少しずつではありますが自分の置かれている環境が変化していき業務内容が変わっていっているからだと思うんです。

noteにしろ、人間関係にしろ、仕事にしろ、ひとつの場所に留まるんじゃなくて、少しでもいいから変わり続ける。依存しないで変化し続けるからこそ、あらゆるものは続いていくのだと思います。

自分の大切なものを守り続けるためには、それよりも低い次元の要素の変容は柔軟に受け入れることが必要だよね、という話でした。最後まで読んで下さり、ありがとうございました。

20240814 横山黎




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