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部活の思い出【中学編】〜初めての部活は吹奏楽部〜
この一週間体調が優れずお家に籠っていました。
一週間もお家にこもっていると書くことも思いつかず...でも何か書きたい。
そんな執筆欲に駆られてnoteのイベント?ハッシュタグ?募集記事的なページをのぞいてみたら、面白そうなお題が沢山。
その中でも一番目に留まったのが#部活の思い出。
私の人生「部活」「勉強」この二大巨頭が大半を占めているといっても過言ではない。
中・高・大と部活に所属してきたけれど、振り返ってみるともう中学校の記憶は曖昧。
「これはあかん、記憶がなくなるうちに部活の思い出を書き残しておかなければ」と、今書き始めている次第です。
1.中学生の私、初めて部活を始める
小学校と中学校の大きな違い。
そう、それは部活動。
どこかしらの部活に入ることが当たり前の流れでしたが、当時は、そもそも部活動に入ることすら悩んでいた気が…。
3歳から続けていた習い事のバトントワリングに心血注いで取り組んでいたので、部活動よりも習い事に時間を割きたいなぁ、と思っていました。
なので部活選びの時も、入るならバトン(バトントワリングの略)と両立できる部活動にしようと決めていました。
そんなことを考えているうちに部活動の見学期間が開始。
新入生には部活を見学する期間が1~2週間ほど与えられ、その間は自由にいろんな部活動を自由に見て回ることができたました。
私が通っていた中学校には、当時部活の三大巨頭があって、その一つが吹奏楽部、2つ目が野球部、3つ目がバスケットボール部。
理由は、ただ強かったから。(それだけ)
バトンとの両立も考えて、個人種目の陸上競技部に所属しようかと思っていた私ですが、この話を聞いて吹奏楽部にも興味を持ちました。
当時の吹奏楽部は、県大会金賞の常連校で毎年全国大会の一歩手前の西関東ブロック大会まで進出していた、そこそこの強豪校!
小学生の時から常に自分の全力で生きていたい、一生懸命に生きていたい、そんな風に何かに全力で取り組むことに魅力を感じていた私は、吹奏楽部に強く惹かれたなぁ。
見学に行って、楽器を吹かせてもらうととっても楽しい。
そして先輩がかっこいい&優しい。
バトンとの両立は難しいかもしれないけど、私はここで3年間いろんな経験をしてみたい、
親とも相談して、吹奏楽部に入部することを決めます。
2.思っていた楽器じゃない…でも大会メンバーに選出される
入部してすぐに楽器の振り分けが行われたんだけど、振り分けられた楽器は私が思っていた楽器じゃなかった…。
私の第一希望は「パーカッション(打楽器)」。
パーカス(パーカッションの略)の先輩方がとにかく美人でかっこよくて可愛くて、そんな人がドラムを打つ姿にとても惹かれてたなぁ。
でも、そんな期待とは裏腹に私が振り分けられた楽器は…チューバ。
当時は、【チューバってどの楽器だっけ?え、あのでかいやつ?!】って正直がっかりしていた😞
だって、他の子たちはもっと小さくて可愛くてスタイリッシュな楽器なのに私は、でかくて丸くて、なんかデーン、ドーンって感じの楽器。
心の中はこんな感じだったけど、もちろん顔には出さずパートの先輩たちとミーティング。
楽器は正直思っていたものじゃなかったけど、先輩たちはとっても優しくてすぐに楽器への不満なんていつの間にか忘れてしまっていた。
私はベースっていう低音楽器のパートに所属して、チューバの先輩は3年生に1人と、2年生に1人。
この2年生の先輩がとっても面白くて、私的には刺激が強かった(笑)
女子中学生なのに、大人の男性とラブホテルに行ったり、ビジネスホテルでセックスしたり、パンツ売ったり...そんな話を沢山してくれて、相談とかも受けたりして、そんな話を聞くのが楽しかった。(もう世界が自分とかけ離れすぎていて下ネタとも感じてなかった...(笑))
やってることはとんでたけど、ほんとに優しくて面白くて私に沢山いろんな話をしてくれてとっても大好きだった。
そんなこんなで部活がとっても好きになり毎日一生懸命練習をしていたら、ある日県大会のメンバーに選出されることに。
勿論、ベースの音を厚くしたかったのもあると思うけど、大会に出ることができるのがとっても嬉しかった。
でも、実はこの大会の直前にチューバのケースと一緒に階段から落ちて靭帯を伸ばしてしまって松葉杖と一緒に舞台に立ったなんて思いでもある(笑)
一年生の時の大会では県大会も予選会も突破して西関東大会の舞台に立つことができました。
3.吹奏楽部なめてた…
吹奏楽部っていうと文化系の緩い部活っていうイメージを持たれている方もいるかもしれないですが、私が入っていた吹奏楽部は全く緩くなかった!!!
まず、ランニング。毎回10分間のランニングに加えて腹筋等の筋トレ。肺活量を鍛えるためにチューブやペットボトルを使ったトレーニング。
もうここで私が思っていた文化部ではない。
そんでもって練習も放課後の練習に加えて土日は一日練習。
一日吹きっぱなしで夏なんてもう汗だく。
思っていたよりもハードでした。
そんなハードな練習の中でも一息付ける時があって、それは、全体練習で他のパートを先生が指導している時。
でここが楽かと思いきや、そんなこともなく、
この時はみんな睡魔と戦っていた。
楽器が大きいチューバは楽器の陰に隠れることができるものの、楽器が滑り落ちたら終わり。
ヒヤヒヤしながら頑張って起きようとしていた。
私の中学校は先生がとっても一生懸命な方で、大会が近くなるとホールを借りて練習をしたり、プロの方から指導をしてもらったり、体育館に楽器をおろして練習したり、今思えばなかなかできない経験をさせてもらっていました。
多少辛かったこともあったけど、大会で「金賞」って呼ばれたら、辛かった記憶なんて吹っ飛んでしまうものです。
4.先生が転勤、部長(私)至難の連続…
2年生も同じく西関東大会まで進むことができて、いよいよ私たちの代。
頑張って西関東大会出場。目指せ全国。なんてそんなことを考えていた矢先、先生の転勤報告。
厳しくて怖かったけど、ほんとに愛が大きくて指導力もある先生。
部員からも好かれていて今年も引っ張ってもらおう。そう思っていたのに…
部長になった私はもう頭の中真っ白でした。
そんな不安の中、やってきたのは40代のぽっちゃりした男の先生。
女子50人をまとめるには、個人的には厳しい女の先生じゃないと効果がないのではないだろうか。
第一印象はこんな感じ。
案の定、部員の中にはその先生を嫌う子たちもいて大会前日に「私出ない」って言って大会ぶっちされたのもいい思い出。今思うと凄いな(笑)
一定層からは嫌われていたけど、その先生もなるべく前年度と同じように活動させてくれて、夏の大会では県大会金賞で予選に進出。
先生とりゅーとぴあの裏で一緒に喜んだなぁ。
予選会は突破できず西関東大会に進むことはできなかったけど、思い残すことはなく、その後の夏の学内コンサートを経て引退。
書いてたら、最後の夏のコンサートを元彼が見に来てて、私だけ楽器が可愛くないって思って、見られたくなくてすっごく恥ずかしかったの思い出した。
最後に
楽譜ファイルに書かれた先輩や同期からのメッセージを見ると今でも熱い思いが詰まった日々を思い出す。
私にとっての初めての部活が吹奏楽部で良かったて胸張って言えるくらい青春をささげていたな。
この3年間で、仲間と何かをやり遂げる力や今後の人生の支えになる経験ができた気がします。
今回この記事を書いていて、マウスピースを洗う手洗い場から見える夕日とか青空の下、部活の仲間と自主練したこととかを思い出してとても明るい気持ちになりました。
もう7年くらい楽器は吹いていないけれど、またいつかみんなで楽器吹けたらとっても楽しいだろうな!なんて思いました。
最後まで読んでいただきありがとうございました。次は高校編です。お楽しみに。
スキしてくれたら嬉しいです🌼