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雪の轍【3分小説】
雪を踏むたび、ぎゅっ、ぎゅっ、と柔らかな音が響いた。
浩介は肩をすくめながら歩き続ける。白い息が夜明けの空にほどけて消えた。昨夜の吹雪が嘘のように、今朝の空は凪いでいる。どこまでも広がる雪原に、彼の足跡だけが一本の細い道を刻んでいた。
帰るのは、これが最後かもしれない。
そう思った瞬間、胸の奥が冷えた。
目の前に、雪に埋もれた古い家がある。屋根には重たげに雪が積もり、ひさしの端から細い氷柱が垂れ下がっていた。玄関先には二人分の足跡――新しいものと、古く雪に沈みかけたものが並んでいる。
浩介は思わず立ち尽くした。
「……誰かいるのか?」
自分に問いかけるように、声が漏れた。
ここへ来るのは何年ぶりだろう。背中を押されたような気がして、ゆっくりと玄関の扉を押した。
中はひんやりとした空気に満ちていた。けれど、かすかに漂う懐かしい匂いに、喉の奥が詰まる。そこに誰かがいた気配が、確かにあった。
雪が溶けるように、記憶がほどけていく。
あの冬の日、父と並んで歩いた雪道。並んでつけた足跡。何度も消えては降り積もる雪の中で、ただ、同じ方向を向いて歩いていた。
振り返れば、自分の後ろに新しい轍が伸びている。
浩介は小さく息を吐いた。
「……ただいま」
誰に向けたものかは、わからなかった。ただ、言葉は白い息とともに空へ溶け、静かに降り積もる雪の中に消えていった。