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自己紹介

かずさんです😁
今回は改めて私の自己紹介をしたいと思います。

現在は….

・Instagram:かずさん|1分でわかる脳画像マニュアル
・オンラインセミナー講師
・作業療法士9年目

2年ほど前からInstagramにて発信活動をしており、脳画像を中心としたオンラインセミナー講師を行っております。

簡単にですが、今に至る経緯を改めてご紹介します!

はじめは"介護職"としてスタート

 20歳であるきっかけで訪問入浴サービスの職員として、働き始めました。
そのきっかけは"祖母の死"です。私はおばあちゃんっ子で、家族で帰省するたびに可愛がってもらいました。しかし、徐々に認知症が進行し次第に私の事を『名前なんだったかね?』と言われるようになりました。

 その言葉をきっかけに、何となく私は祖母に会いに行くのを躊躇していました。"私を覚えてない"という事実を受け入れられなかったからです。

そして、祖父・祖母ともに他界し私はずっと会わないままでした。
そこで初めて会いに行かなかった事に対する後悔が生まれました。

『もっと何かできたのでは?』
『会いに行くだけで十分なのでは?』

そんなことばかり考えてました。

 少し話は変わりますが、私自身高校生の時から特に目標もなく、行きたい大学もありませんでした。『安定してるから』という理由で公務員の道を選択していました。専門学校に進みましたが、授業にもほぼ出ずに毎日のようにカラオケに行ったり、飲みに行ってました。

 いったんは合格(警察官)しましたが、何となく辞退しました。その後も『市役所受かればいいな~』みたいなノリで専門学校や塾に通い続けましが、ほぼバイト漬けで結局学校には行ってません。

 そんな時、祖母が亡くなった事を知らされます。私は一気に絶望しました。自分は何をしていたのか?自分勝手な欲望のまま、目的もなく遊びまわった。ようやく自分のしてきた事に後悔しました。

 そこから自分自身と向き合い、何をすべきか?を考えました。その結果、『おばあちゃんのような人を少しでも癒せる存在になりたい』と考え、介護の世界に入りました。その中でも自宅でも入浴できるサービスである"訪問入浴介護"の世界に入りました。

 始めは10㎏以上もある浴槽をご自宅に運ぶので、正直しんどかったです。1か月で体重が15㎏も落ちました。けど、充実してました。

 そんなある日、利用者さんの情報をみていると『脳梗塞・脳出血』といった既往歴が多くありました。家族様に『脳卒中になってから寝たきりになってしまって』と話しをして頂けました。その当時の私は医療的な知識はなく、『脳卒中=寝たきり』というイメージしかありませんでした。しかし、それがどのお宅に訪問しても同じ話をされました。そこでふと『脳卒中って本当に寝たきりの原因なの?』と考え始めました。

 利用者さんの中には、脳卒中になる前に旅行に行ったり友達とカラオケに行ったりと活動的な方が多かったです。そこで私は医療的な事もそうですが、入院してからの流れなどを勉強し始めました。

 そこで『入院後はリハビリテーションが重要』という言葉を聞くようになりました。その当時の私は単純なので『リハビリが適当だから、寝たきりが増えるんだ!!!』と考え、リハビリテーションの世界に入る事を決めました。

 25歳で専門学校に入り、18歳の子たちと勉強するのは、その当時少し抵抗があった事を覚えています。しかし、結果的にクラスリーダーをしたり、タメ口で話されたり(いい意味で)、良い学校生活を送る事ができました。

 国家試験も合格し、200床以上の急性期病院で働く事になりました。1年目の時は本当に死に物狂いで勉強し、昼休みは同期に手伝ってもらって触診の勉強をし、仕事が終わったら車で2時間かけて勉強会に参加したり、今考えると、どこか"あせって"いたようにも感じます。そんな時…

 私にとって"大事件"が起きます

 ある患者様を担当していて、経過は順調でした。回復期には行かず直接自宅退院できて、本人も家族様も喜んでいました。が、1週間ほど経った際に自宅で転倒して、再入院となりました。本人は『も~ドジよね~』と笑っていました。私もその言葉を聞いて安心していました。

実はここが最大の後悔でした

(経過は割愛します)
 ある日、いつも通り患者様のカルテを見ようとしたら探せませんでした。
『退院まだ決まってないのに…』と思い、病棟の看護師さんに聞いたところ『急変した』との事でした。私は混乱しました。昨日まで笑顔で歩いていて退院したら、『旅行にいきたい』と話していたのに…

 最終的な診断を聞いたとき、私は後悔しました。明らかにリハ中にその傾向が予測できたのでは?と感じたからです。もちろん何が起きるか分かりません。急性期病院では特に。

 ただ、『何かできたのでは?』とずっと考えてきました。周りからは「しょうがいないよ」「気にしなくていいよ」と言われてきました。しかし、私は割り切る事が出来なかったのです。

 そこから私は週7日(アーカイブを含めると1日3回セミナーを受ける事も)勉強をしました。1%でも患者様の未来につなげる為に。

真面目じゃだめなの?

 勉強してそれを患者様に還元する。これってダメですか?なぜか勉強すればするほど周囲との"温度差"のようなものを感じ始めます。「まじめすぎて好きじゃない」と言われていたそうです。

 もちろん仕事をしていく中で、色んな人がいるのは理解しています。お金だけが純粋に欲しい人、なんとしても定時に帰りたい人。別にそれを何とも思いません。しかし、自分の考えと違うからと言って『好き・嫌い』の感情に左右されるのは、人として未熟な気がします。

 その時期から自分の中で、何か緊張の糸が切れ始めたのを感じました。そんな時、"あの感染症"がやってきたのです。

コロナウィルスの大流行

 もう2年以上経過しますが、コロナウィルスの大流行により病院はまさにパニック状態でした。当初は患者様に対してリハビリを実施する事が出来ず、掃除やごみ捨てなどの作業をしていました。

 感染の拡大を防ぐために、接触時間の長くなるリハビリを行えない事は理解できるし、当然だと思います。ただ、私はどうしようもない絶望感に襲われます。

『このまま収束しなかったら、仕事はどうなるんだろう?』

 周囲は「なんとかなるっしょ!」のような雰囲気でしたが、その危機感のなさから、『今から何かを考えなければヤバい!』と感じてました。

 この状況では『外出が制限される』という点がある以上、"強制的に時間が生まれてしまう"ことは間違いないと考えました。そこから『SNSの時代』が加速すると確信しました。幸い私は資料作成などは好きな方だったので、それを活かして発信活動をしようと考えました。

Instagramの"かずさん"の誕生

 リハという業務が出来ない以上、時間だけはありました。私は休憩時間もコミュニケーションが制限されているのを逆手にとり、昼休みなどは全てインスタの投稿作成に充てました。帰ってからも最低3時間は、投稿作成していました。

 今では"脳画像のかずさん"と言われるようになりましたが、発信当初は色んな事を投稿してました。コーチングや勉強方法、国家試験対策など何のアカウントか分からない発信を繰り返してました。

 発信を始めて半年後、伸び悩んでいた時になんとなく出した投稿が急激に伸び始めました。それが"脳画像"だったのです!今でこそ、脳画像で発信する人は増えてきましたが、その当時はほとんどいませんでした。ジャンル的にもニッチなものだったのでしょう。

 さらに脳画像って苦手意識を持つ人が多かったのも、伸びた要因だったかもしれません。ただ、私自身は元々脳画像どころか、脳卒中は"嫌い"な分野だったのです。

脳卒中は嫌いだった!?

 この話をすると、「ぜったい嘘ですよね?」と言われます。もちろん今は大好きです。24時間365日、脳画像の事を考えています笑

 しかし、私の学生時代は脳卒中系の学内試験でギリギリ6割。国家試験でも5~6割程度でした。臨床に入って、初めて脳卒中班に配属された時も出勤するたびに、なぜか左半身が痺れるという状態でした。たぶん嫌いすぎてストレスがかかった結果なのかな…?と思います。

 私は28歳の時に作業療法士になったのもあってか、周囲から『あなたなら出来るでしょ?』と言われていました。『分からない』と私が言っても「冗談でしょ?」と…。

しかしあるきっかけが私の人生を大きく変えました

質問に答えれない

 とある日、担当の患者様から「私って良くなるのかな?」と言われました。私はとっさに『もちろんですよ~!』と答えました。しかし、その日以降、その方は私との会話を避けるようになりました。

 その当時の私はなぜそうなったのかが、分かりませんでした。しかしその患者様が転院した後、他のスタッフから「○○さん、あの時の言葉が軽く感じてショックだったみたい」と伝えられたのです。つまり私の『もちろんです』という言葉に重みを感じない…いや""に近いものだったかもしれません。

 無意識かもしれませんが、『苦手分野だからこれくらいできれば』という軽い気持ちで患者様の前に立っていたかもしれません。もし私が苦手分野であっても全力でやっていたら、結果は違ったでしょう。

 そこから私は全力で勉強するようになりました。脳卒中というものを理解するなら、脳を知らなければいけない。だからこそ、私は脳画像にのめり込んだのです。それが私のルーツになっています。

なぜ現場から離れたのか?

 知ってる人もいるかと思いますが、私は現場から離れています。現在はInstagramを中心に発信活動+オンラインセミナー講師をしています。

 実は13歳の時に"てんかん"を発症しています。ほとんど生活に支障がないのですが、2年ほど前からリハ中に発作が起きたことが何度もあります。これが車椅子への移乗動作の時だったら…と思うとゾッとします。

 コロナウィルスからのストレスや様々な要因があったと思います。そこでいったん療養すると同時に『セミナー事業』をスタートする事を決めました。幸いコロナ期間中にSNS活動をスタートして、インスタライブでも300名以上がきてくれてたので、可能性はある…と感じてました。

 いつ仕事が出来なくなってもおかしくない…そう感じて私のもっている全てを悩める医療従事者に還元したい。とオンライン事業に全てをかける事を決意しました。

 "オンラインセミナーはオワコン"なんて言われつつありますが、私には関係ありません。なぜなら『自分に出来る事を最大化する』だけだから。なのでこれからも頑張ります!

2024年は?

発信内容は変わらず、脳画像が中心になると思います。しかし今後はInstagramだけでなく、このnoteを使用して

① 急性期において、必要な知識や技術
② リハビリテーションにおける技術
③ 脳画像に関する発信
④ 作業療法士とは

この4つを中心に発信していこうと思ってます!私に出来る事は少ないかもしれません。けど、私の発信で救われる人が1人でもいるなら、私はその人のために全力で頑張っていきます!

最後に

長い文章を最後まで読んでいただき、ありがとうございます!
何か感じた事があれば、インスタのDMにコメントいただけると全力で喜びます!!何はともあれ、今年もよろしくお願いいたします!

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