高くて深い専門書の世界|マニアックな書籍の必要性
ハードカバーの高い本
書店に行ったときに、奥まったコーナーに厚くて高価な本が積んであるのを見たことがある方は多いのではないでしょうか。
専門書というやつです。
一般向けの書籍のように、たくさんの人にセールスすることを想定されていない、マニアックな本。
例えば、こういう書籍です▼
同じ著者、同じテーマで、若干手に取りやすくなったものがこちら▼
それでも、まだ気軽に購入できる価格ではありません。
この書籍は、同名の海外ドラマについて検索したときに発見して、面白そうなのでいつか読んでみたいと思っているのですが、購入の踏ん切りがつきません。
じゃあ誰が買うのかな?と思われるかもしれませんが、同じジャンルの研究者たちが買うのです。
私が上記の本を読みたいのは単なる好奇心からですが、徳川将軍家を研究対象にする歴史学者や人類学者にとっては、必携の書となるでしょう。
専門書は高い
何故高いのかといえば、市場に流通する絶対量が少ないから。
専門書が重版されることは比較的珍しいと言えます。
出版社のホームページで「絶版」という表示になっている本が多いのはそういうこと。
例えば、縄文土器の分類に関する専門書が発行されたとします。
その書籍を購入するのは、主として縄文土器の専門家。
さらに、公立や大学附属の図書館、博物館など、研究する人のために資料を提供する機関も書籍を収集します。
つまり、その専門書は
しか売れないわけです。
テーマがキャッチーだったり、著者が有名だったりする場合はその「+α」が増えますが、基本的には専門家しか買わないのが専門書。
研究者に向けて書いているので、内容も難解です。
初めてその学問に触れる人は読者として想定されていないため、フルスロットルの専門性で執筆されています。
加えて学術的な専門書は、研究成果の社会への還元や自説主張のためという側面が強いので、商業的な利益を出すことが第一義ではありません。
出版のハードルは高い
博士学位論文の出版
人文系の学者の場合、初めての単著は“博士学位論文”の書籍化であることが多いと思います。
単著というのは、他の人との連名や論文の寄稿ではなく、著者の原稿のみで構成された本を指します。
博士学位論文は、ハードカバーの書籍一冊分ほどのボリュームに相当します。
私が先輩や専攻の先生を見ていた限り、指導教授から、信頼のある出版社に紹介される形が多いようです。
博士学位論文は、修士論文までとは大きく異なります。
研究科ごとに定められた厳しい要件を満たした上で提出され、複数の専門家によって査読された上で、ようやく受理されるもの。
博士学位論文は、それだけで出版されるだけの価値があるクオリティになっているのです。
そうでなければ、博士学位に相応しくないということでしょう。
その他はさらに険しい道
博士学位論文以外の専門書を出版する方もいらっしゃいますが、例えば300ページの書籍だとすると、論文にして10本近くの分量の原稿が必要になります。
出版する研究実績がそれだけあるということは、その分野で精力的に活躍し、認められた研究者ということです。
書き下ろしだとするなら、なおさらの労力がかかります。
入手するハードルも高い
「名著」と言われるような書籍でも、絶版になってしまうのが専門書の世界。
どうしても手に入れたい場合は古本を探すしかないのですが、「名著」「必読書」をわざわざ手放したい人もいないので、古本すら市場に出回りません。
本来の価格の数倍に高騰していたりすることもしばしば。
私が購入した古本には、「△△図書館所蔵」という蔵書印が押されていました。
図書館が一律で古書を排架処分にしたときに、たまたま放出されたようです。
欲しくても買えないのが専門書
なら安価で出版できるように(電子書籍などに)移行すればいいのでは? というのももっともな疑問なのですが、とりわけ人文系の学問の世界では、
ことによって保証される信頼性と権威が未だに大きいのです。
出版社のブランドによって、著者の身分と成果が保証されているということ。
最近では、絶版書籍がOD版(オンデマンド版)として再出版されることもあります。
▼例えばこういう感じ
OD版は、出版社が注文を受けてからオリジナル書籍のデータを印刷・製本して納品するもの。
在庫管理のない受注生産ということです。
版元の方向性によるものなので、これに対応している書籍は一部に留まります。
仮に冒頭で紹介した書籍が絶版になって、レアになってしまったら、なおさら手が出せる金額ではなくなってしまいます。
決断力と思い切りが求められます。
研究者にとって、書籍代はかなり大きい問題なのです。