北野武監督『首』は面白かったけど誰か解説を!/真野愛子
北野武監督の映画『首』を観てきました。
客席はほぼ埋まってました。
おじさまがいっぱいでしたけど、若い男女も結構いました。
わたしは北野映画をすべて観ていますので、ここで唐突に、わたしの好きな北野映画ベスト3の発表です。
第1位『あの夏、いちばん静かな海。』(1991年)
あ、これ、下位から発表する“盛り上げスタイル”ではありません。サラッと行きたいので1位からです(笑)。すみません。
第2位『菊次郎の夏』(1999年)
第3位『監督・ばんざい!』(2007年)
たけしさんの映画って女性がほとんど出てこなくて、出てきても「庶民派な聖母」か、いわゆる「おねえちゃん」のどちらかだと思うのですが、それが逆に男性の作品として割り切れて楽しめます。
『あの夏、いちばん静かな海。』は、こんな作品を撮れるというだけで、たけしさんのファンになっちゃいますね。
男の子って、夢中になれるものを見つけて、夢中になったらコロッと居なくなっちゃって、いい気なものだなと思います。けど、そこが好き。
わたしにとって、男子は、永遠の憧れだったりします。
『あの夏、いちばん静かな海。』はそんな映画です。未鑑賞のかたはぜひ!
さて、『首』は、どうやら公開前に解禁されていた予告映像やふれ込みは興行記録を狙うための作戦としてわざと誤解させているフシがあるなと思い(構想30年とか、黒澤明監督が太鼓判を押したとかです)、鑑賞途中から見方を変えて「気軽に観よう!」と構えを修正しました。
じつはそんな作品なのです。
それで十分に楽しめたのですが、どうしても気になるところがあります。
(以下、ネタバレはありませんが、それなりに観ないとわからないことも言いますので、そのつもりで読んでくださるとうれしいです)
まず、加瀬亮さん演じる織田信長。
めちゃめちゃインパクトがあって最高なのですが、ひとりだけ宇宙人みたいなのです。
織田信長は当時としては異常なくらいにイノベーションが進んだ人物だと学生の頃に習いましたが、にしても、たけしさんが造形した信長はどこかの異星からピューとやってきたような、とんでもない人物なのです。
他の登場人物とのバランスを超えたところにいます。
続いて、桐谷健太さん演じる服部半蔵。
これまた、ピューとなります(笑)。
「それ、アリなの!?」となりました。
そして、白塗りの光源坊は狐を従え、エフェクトボイスで話します。
ワクワクしたけど、「これナニ!?」(笑)。
あと、たけしさん、ホーキング青山さんのこと好きですねぇw
他にも気になるところはいっぱいあって、それらは違和感というものではないけれど、なんかデフォルメが肥大化していて「えっ!?」となったのです(「デフォルメが肥大化」ってヘンな日本語ですね……苦笑)。
北野監督ほどの才能ですから、これは「何でもありなんだよ!」という単純なものではないし、「バランスが取れていない」「世界観が統一されていない」というわけではなさそう。
わたしは頭はよくありませんが、カンだけは働くので、
これ、おかしいだろ!
とは考えなくて、
どうやらわたしの理解が及んでいないところで成立しているはずだ……
と考えます。
昔、北野監督の『座頭市』を観た時、「下駄のタップがヘンだ」という意見も聞いていて、そうなんだと頭の片隅に置いて鑑賞していたら、かなり早い段階でそういう世界観だと伝えていて、下駄のタップシーンが出てきた時はまったく違和感なし。むしろ血が騒ぎました。
五穀豊穣、村の再建を象徴する素晴らしいシーンとなっていました。
そりゃそうだよな。
世界が認める監督なんだから、それくらい構築するに決まってんじゃん。
と、思いました。
で、『首』です。
北野監督のことですから、いっけん「何でもあり!」を可能にする理論を発明しているのではないかと考えます。
それがめちゃめちゃ上手く行っているかどうかはわかりませんが、挑戦しているのは間違いないとにらんでいます。
――こんなことを考えていたら、映画ライターの竹島ルイさんが、わたしの疑問にちょっと答えてくれるような考察コラムを書いているのを発見しました。 以下のこれです。
わたしと指摘していることが同じですが、竹島さんは専門だけあってちゃんと解説してくれていて「うむ、なるほど」と納得しました。
確かにそうかも。
けど、それだけではないような気もします。
もっと映画そのもので再構築して、表現の域を広げるようなことをしているのでは……。
え、ただの考えすぎですか???
あー、わからなくなってきたッ!!!!!
頭痛が痛い! もう限界ですッ!!!
誰か、スッキリ解説お願い!