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【東かがわ市黒羽城】城主 永塩因幡守氏継、長塩備前守又四郎元親と末裔

こんにちは。

トリリンガル讃岐PRオフィサーのモリヨシナリです。

今回は1467年、応仁の乱で細川方について戦い京都御所北側の相国寺で安富元綱らと共に討ち死にした戦国武将 黒羽城城主 永塩因幡守氏継(ながしお・いなばのかみ・うじつぐ)についてです。




モリヨシナリのプロフィール


ビジネス英語講師、全国通訳案内士 (英語・中国語)、海外ビジネスコンサルタント


神戸市生まれ、香川県育ち。米国大学経営学部留学マーケティング専攻。


職歴:

  • 大手エレクトロニクス企業にて海外営業職に20年間従事 (北京オフィス所長)

  • 香港、中国にて外資系商社設立に参画、副社長を経て顧問

海外滞在歴:

  • アメリカ: 2年

  • シンガポール: 2年

  • 中国: 12年

  • ベルギー: 1ヵ月

現在の活動:

  • Bizconsul Office 代表

  • ビジネス英語講師、全国通訳案内士 (英語・中国語)、海外ビジネスコンサルタント

  • 観光庁インバウンド研修認定講師

  • 四国遍路通訳ガイド協会 会員

  • トリリンガル讃岐PRオフィサー

保有資格:

  • 英語: 全国通訳案内士、英検1級、TOEIC L&R: 965点 (L満点)、TESOL (英語教授法)、国連英検A級、ビジネス英検A級

  • 中国語: 全国通訳案内士、香川せとうち地域通訳案内士、HSK6級

  • ツーリズム: 総合旅行業務取扱管理者、国内旅行業務取扱管理者、国内旅程管理主任者、せとうち島旅ガイド

メディア実績:

  • 香川県広報誌「THEかがわ」インタビュー記事掲載

  • 瀬戸内海放送 (KSB) ニュース番組コメント

  • 岡山放送 (OHK) ニュース番組コメント

研修/コンサルティング実績:

  • 観光庁インバウンド研修認定講師として登壇 (香川県善通寺市役所、愛媛県西予市宿泊施設、他)

  • 四国運輸局事業 (訪日外国人観光客向けレンタカー利用調査、アドベンチャーツーリズム他) コンサルタント

  • 香川県主催 瀬戸内国際芸術祭オフィシャルツアー公式ガイド

  • 香川せとうち地域通訳案内士インバウンド研修講師認定試験 面接官


永塩因幡守氏継 (ながしおいなばのかみうじつぐ)


・永塩因幡守氏継は、自分の最期を予期してか1467年8月に黒羽神社を創建した。



1467年創建の黒羽神社


永塩因幡守氏継の名が出てくる文献には「応仁記」「讃州細川記」「全讃史」「三代物語」などがある。



応仁の乱のころ、当時、細川勝元氏の勢力下にあった讃州勢は、応仁元年(1467年)10月3日、京都御所北側の相国寺を詰所として守っていたが、相国寺の僧が寺を炎上させ西軍に通じたため、永塩因幡守氏継は、安富元綱、弟の三郎ら500余人と共に戦い火中で討死した。


京都御所北側の相国寺


東かがわ市の黒羽城については、室町時代、安富傘下の一武将として、阿讃国境警備の必要から黒羽にて適した土地を選び城を築き、城の守護として尾根続きの東端に観音堂を建立、本尊として勧請した。

伝承によると、黒羽城主 永塩因幡守氏継によって寄進された像である観音立像(黒羽観音堂)は、高さ七九センチほどの大きさで、木造立像彩色の聖観音である。

顔の様相や端麗な姿はともに一際目を引く。


菩薩といえば宝冠や瓔珞(ようらく)、釧(せん)などで身を厳飾するのが普通であるが、この像は例外である。

最初から身につけていなかったのか、盗難にあってなくなったものか、全く不明である。ところどころに製作当初の彩色が残っており、引田町内の観音の中では、最古に位置する像と拝察される。



・黒羽観音堂 (東かがわ市黒羽にある吉祥寺東側の石段を昇ると観音堂がある)





黒羽観音堂の本尊観音像


永峰家

黒羽には、昔から応仁の乱で生き残った永塩因幡守氏継の一族の者が、黒羽に帰り武士を捨て、帰農し、姓を永峰に変えて永住したという話が伝えられている。


・日本姓氏語源辞典


永峰家は、本家と新家があ って、東家、西家と呼んで区別し ていたという。代々、庄屋を勤めていたのは西家の永峰家で、東家は地主だった。


・永峰家図 (引田町人物史より)

永塩因幡守氏継 - 長塩備前守又四郎元親 - 永峰宅本

引田町人物史


引田町人物史


・長塩備前守又四郎元親


・長塩元親





・長塩元親書状





永峰杢左衛門 (ながみね・もくざえもん)


引田町人物史


永峰杢左衛門は、黒羽永峰家の元祖である永嶺宅本(寛永八年(一六三一)十月十五日没七八歳)、永峰 五郎右衛門の子孫 與左衛門(元文四年(一七三九)七月一一 日没九〇歳)の別家である。

屋敷も元祖の永嶺宅本墓碑の横にある。屋号は「お頭」。三代 永峰杢左衛門は文政 十一年(一八二八)に与頭を務める。(「引田町社寺の棟札」 引田町教育委員会)

一族の黒羽村庄屋 西家 永峰五郎三郎に続き苗字をもつ有力者だった。屋敷前には砂糖締小屋を持ち「出口」と呼ばれ砂糖などで繁栄した。

・永峰杢左衛門家系図 (引田町人物史)

生前、永峰義史さんの息子さんに野球を教えてもらった思い出がある。義史さんは私の父と交流があり、うちにも時々、来られていた。



森家との関係


【私の高祖父の父】森義右エ門

【私の高祖父母】森喜平 - 八田キヨと1864年(元治元年)に結婚。徳島県 碁浦御番所役人兼庄屋の八田家 八田孫平の長女 キヨ。八田キヨは春の桜の季節になると三味線を弾きながら近くの島へ船で渡り、遊山をするような風流な人だった。阿波浄瑠璃の三味線が得意だった。長男は琵琶を弾いていた。

・松浦武四郎、伊能忠敬らが立ち寄った碁浦番所


【私の曽祖父母】森虎太郎 - 永峰チヨ。明治22年に結婚。永塩因幡守氏継を祖とする黒羽村 永峰杢左衛門の6代目 永峰市次郎の長女 永峰チヨ。旧家の永峰チヨが森家へ嫁いで来たときは、「お姫様が来た」と言われたほどだった。朝になると引田の港から新鮮な魚が船で届けられるようになった。

【曽祖父の妹】森トヨ。明治26年、黒羽の旧家出身の三谷磯八と結婚。三谷磯八宅は三谷総本家の隣り。瀬戸内寂聴さんは三谷総本家の家系で三谷甚六の子孫となる。


永峰チヨ




永峰チヨの娘 森トメノの神戸新聞のインタビュー記事


・【戦時中命懸けの仕事だった電話交換手】二・二六事件発生時や戦後GHQ将校宿舎となった旧・神戸オリエンタルホテルで英語を使い電話交換手をしていた明治生まれの大叔母! 樺太の真岡郵便局の電話交換手が集団自決した事件とは? 「九人の乙女」で舞台化!







・【東かがわ市・黒羽訪問】幻の黒羽城跡を訪問! 城主は永塩因幡守氏継! 黒羽糖業感謝碑と和三盆! 瀬戸内寂聴さんが見た南山!



・【戦国武将】謎多き永塩因幡守氏継と東かがわ市黒羽。 幻の城 黒羽城の推定跡地。 黒羽神社を創建。 細川勝元、安富元綱との関係。 応仁の乱に参戦した結果は?



・【香川県東かがわ市・黒羽城】城主 永塩因幡守氏継について香川県立図書館にて調査! 香川県中世城館跡詳細分布調査報告、角川日本地名大辞典、増補三代物語、全讃史、引田町史、大内町史!





以上

























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