Smoke
仕事に煮詰まって外に出た。ふらふらと古い屋敷の並ぶ路地を歩き、自宅近くのお寺までやってきた。境内にあるベンチには、たくさんの桜の花びらが落ちていた。その桜の花びらをササッと払い、ベンチに腰掛け、ポケットからタバコを出して火をつけようとしたら、ライターが見当たらない。
良かったら、お使いになりますか?
声の方に振り向くと、いつの間に来たのか、隣に女性が座っていた。
桜色のワンピースを着た女性は、銀色で細身のライターを 僕に差し出した。
いいんですか?
どうぞ。
ライターを借りて、タバコに火をつけた。
ありがとうございます。
素敵なデザインのライターですね。
桜の花びらが掘ってある。
プレゼントなんです。
そう言って彼女は、ポツリポツリと
ライターの贈り主の話しを始めた。
贈り主と彼女は恋人で、彼はある日突然行方不明になってしまった。居なくなる直前に、彼はこのライターを彼女にプレゼントしてくれた。
もう一度、一度だけでいいから、彼に会いたい。そう思っていたんです。
そうしたら、願いが通じたのか、彼の居場所がわかったんです。
良かったじゃないですか!
そうなんです。本当に良かった・・・
それで、これから会いに行こうと思ってるんです。会いたかった彼にやっと会える・・・。
そう言うと、彼女はバッグからタバコを出して火を点けた。ゆっくり煙を吐きながら、目は遠くを見つめている。
僕もタバコを吸おうと、
箱を開けたら、今度はタバコを切らしていた。近くのコンビニでタバコを買って来ると彼女に告げると、
私ので良かったらどうぞ。
と言ってくれたが、火も借りて、タバコまで貰うのは、さすがに図々しいと思い、彼女の申し出を断った。
コンビニで買って来ます。直ぐにもどりますから。
そう言うと僕は、コンビニに向かった。
用事を済ませて、足早に境内に戻ると、もう彼女は居なかった。ベンチの上には、彼女のライター、桜の花びら、そして、桜色の紙に巻かれた線香の束があった。
僕はまたベンチに腰掛け、暫くの間、緑の若葉をつけ始めた桜の古木を見上げていた。そして、彼女の銀色のライターで、桜色の紙に巻かれた線香に火をつけ、自分のタバコにも火を点けた。
白い石で彫られた観音様の前に、小さな香炉がある。僕はそこに火を振り消した線香を寝かせた。
線香の煙は、すうっと夕方の空に向かって、真っ直ぐ立ち上った。僕もタバコの煙を
空に向かってゆっくり吐く。2つの煙は絡み合いながら、高い空に消えて行った。
(了)