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「耳たぶくらい」が分からない
こんなはずじゃなかった
という経験は、人生においてなるべくなら避けたいところである。それにすべて自分の選択や置かれた環境において導かれる人生で、自ら言い訳のように使いたくないところもある。それでも「こんなはずじゃなかった」ことに、直面せざるを得ないこともまた宿命かもしれない。
今日の昼はパスタを、どういうわけか麺から自作しようと思い立った。昨日の夜、思い立った。早速作り方を調べると強力粉が必要らしく、買い出しに行った。
様々なレシピを見ても大体小麦粉と卵だけでこねて作っている。本当にそれだけで固まるのかと半信半疑ではあったものの、初めて作るからレシピ通りにする。
目安は耳たぶくらいのやわらかさとのこと。出ました。この言葉、粉や生地系のレシピで常套句のように使われる。
そして今回こねていて、私が想像しうる「人体の耳たぶのやわらかさ」の平均値をとっても中央値をとっても明らかにそれより硬いと自覚していた。けれど水を加えどいくらこねてももう修復不可能な段階のところまでどうやら来ていた。
結果「これくらいの耳たぶの人もいるだろう」と、言いきかせた。自分の耳たぶと今回の生地を交互につまんでは、明らかに硬く鎮座する目の前の生地の現実にふたをするように。
見た目はそう悪くない。
いったんパスタは置いておいて、ソースづくり。
今日はトマトと魚介のクリームソース。
これも見た目は悪くない。
生パスタを茹でる場合、茹で時間は大体3分らしいけれど、それはこの例の硬耳たぶパスタには短すぎると思ったので、黙って5分茹でた。
出来上がったパスタをソースと絡める。もうちょっと、いやだいぶおしゃれなフィットチーネを目指していたはずが、見た目は完全に男飯そのものだ。
パスタの見た目は完全に黄色いほうとうで、食感は言葉を選ばず言えばゴムみたいだった。救いだったのは、味はパスタを再現出来ていたことだ。
弾力がありすぎて、パスタを巻くたびにソースがまた跳ねる跳ねる。一人で食べるご飯は嫌いだけれど、今日の食卓は一人でよかった。それと、こんなこともあろうかと、部屋着に黒のTシャツをチョイスしていた自分を褒めてあげたい。
そうはいいつつも、しっかり完食させてもらった。ついでに言えば、ソースの方はとても美味しくできた。自画自賛。
だけど…
思った通りのおしゃれなフィットチーネが出来なくてとても悔しいので、近いうちにリベンジしようと思う。今度はもっと卵の大きさとか、油を入れるとか工夫して。
だって、こんなはずじゃなかったから。