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青柳いづみこ『ショパン・コンクール』


著者:青柳いづみこ

青柳いづみこ『ショパン・コンクール』

出版社:中央公論新社

対象読者:クラシック音楽の奥深さを知りたい方、ピアノコンクールの真髄に迫りたい方

🌟レビュー🌟

ポーランドのワルシャワで五年に一度開催される、世界最高峰のピアノ・コンクール「ショパン・コンクール」。

その舞台裏を、ピアニストであり文筆家の青柳いづみこ氏が綴った本書は、1927年の創設以来の歴史を俯瞰し、2015年大会の熱気を現地から伝えます。

芸術の評価基準とは何か、日本人優勝者は現れるのかという問いに対し、音楽界の未来を占う壮大なテーマを扱う本書。青柳氏の鋭い観察眼と洗練された筆致が、読者をコンクールの熱気溢れる現場へと誘います。

この本の主要なテーマはショパン演奏における解釈とは何かです。

それを青柳いづみこ氏は「ロマンティック派」対「楽譜に忠実派」と評します。

1925年、ショパンコンクールを創設したワルシャワの教授たちは「正当的な解釈の普及」を目的としてかかげたが、ショパン演奏において何が「正統的か」ということも常に議論の対象になってきました。

というのも、ショパン自身がショパンはリストが自作をアレンジして弾くのを嫌ったが、自身はメロディに装飾を加えて弾いていたようなのです。

青柳いづみこ氏は言います。「当時の演奏習慣として、作曲家が書いた譜面どおりではなく、その場の感興でさまざまにアレンジを加えることが日常的に行われていた。しかし、自作が改竄されるのを嫌ったショパンは、どんなささいな変更もがまんならず、リストですら例外ではなかったというから、どんなふうに弾かれるか気が気でなかったにちがいない」

1980年の第10回大会で事件は起こりました。

第一次予選から圧倒的なテクニックと特異な解釈、個性的なファッションで話題を呼んだユーゴスラヴィアのイーヴォ・ポゴレリチ。

しかし、第三次予選で落選したため、審査員のアルゲリッチが激怒して審査員を降りました。

のちの対談でポゴレリチは言います。「演奏家であれば絶対に楽譜を尊重すべきで、いかに正確に楽譜を読むか学ばなければなりません。作曲家は非常に抽象的な音楽の言葉だけで彼らの考えを表現しているので、私たちがもしそれを読みこなせなければ、音楽は真の姿を失います。」

ここで注目すべきなのは「非常に抽象的な音楽の言葉」という部分です。

非常に抽象的な、とはダックスフンド→犬→イヌ科→哺乳類→動物と階層を上げていくということ

すなわち、ポゴレリチは、楽譜の記号→何か→何か→何か→答え、と楽譜の記号から抽象的な答えを出そうとしていると思われます。

つまり、ダックスフンド絵画コンクールにおいて、<誰が見てもダックスフンド>を描くのと、<ダックスフンドに見えるけど違う何か>を描くということの違い、ということでしょうか。

〈ダックスフンドに見えるけど違う何か〉を補足すると、日本が生んだ天才画家・伊藤若冲は鶏を好んで描いていましたが、彼が描いていたのは鶏ではなく、〈鶏に見えるけど違う何か〉ではなかったでしょうか。

この本は2015年大会の模様が描かれていますが、2020年大会では反田恭平氏が2位、小林愛実氏が4位という快挙を成し遂げたのは周知の事実です。

反田氏がfinalで弾いたピアノコンチェルト第1番の第一楽章は砂糖控えめ&和(ワビサビ)を感じさせる演奏で、
不慮の事故死を遂げた幽霊の恋人たちが、冥界の山の麓に立ち、半月が照らす鳥居の列に導かれ、くぐる度に恋人の存在感が肌を擦り、枯山水庭園の上で再会するような演奏。

小林氏がfinalで弾いたピアノコンチェルト第1番の第一楽章はSF小説『あなたの人生の物語』を思わせる演奏で、
娘が亡くなることを分かっている母親が、それでも未来の娘が愛おしく、また、死の運命に抗おうともがき、未来と現代、愛と死の狭間で子守歌をそっと口ずさむような演奏。

両者の演奏を交互に聴いても、同じ曲に聴こえないのがクラシック音楽の醍醐味だなぁと改めて思いました。

2020年の後に刊行された本書の続編となる『ショパン・コンクール見聞録 革命を起こした若きピアニストたち』は未読なので、読み次第レビューします。

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