「早大卒の50社落ち就活生」が、その経験をネタにできるようになるまでの話
「就活は恋愛だ。」というサイトの管理人をしている、YMといいます。
まだまだ小さなサイトではありますが、ページビューは万単位、月間で数千人の就活生には見られています。
このサイトは、私の実経験から生まれました。
一言でいうと「落ちこぼれ就活生が、その経験から就活のコツを教える」というもの。
…これは設定ではありません。実話です。ノンフィクションなんです。
そして「落ちこぼれ就活生」というのが、私です。
私は「就活は本当に嫌」でした。そして実際に、激しく失敗しています。
正直、社会人になっても「自分の就活」にはコンプレックスがありました。ネタにすることなんかできなかったですし、そもそも他人に話す気にもなりませんでした。
では、なぜこのサイトを作るに至ったのか。
ご紹介します。
簡単な私の経歴
私の経歴をかいつまんで書くと、こうなります。
最終学歴:早稲田大学 教育学部卒
新卒入社:某上場企業
個人事業主として独立
某ベンチャー企業でスカウトサイトの運営にジョイン
中途入社:就活時代の第一志望だった上場企業(総合職)に中途採用
いま、実際に就活に苦労している方からすると
「は?めっちゃキラキラしているじゃん!」
「こんなのどこが失敗しているんだよ」
と思ったかもしれません。
が、現実は全く逆でした(少なくとも私からはそうでした)。むしろ全くダメダメでした。どのくらいダメかというと、
●就活が嫌すぎて留年する
●ようやく就活を始めて、50社以上から落とされる(50社以上はカウントしてません)
●あまりにも受からないので、志望業界を6回変える
●就活は4年生の夏から始めて、終わったのが5年生の秋(1年以上やってました)
●入った会社も1年で辞めたので「就活そのものが失敗」
という、「ダメダメ超絶ポンコツ就活生」でした。
なんでここまでダメダメだったのか。
最初からご紹介します。
「大学生楽しい、就活が嫌」から始まった留年
就活に至るまでの大学時代は、めっちゃ楽しかったです。はっきり言います、超イキってました。
というのも、私にとって最高のサークル活動があったからです。
ある授業経由で参加した合宿。
その参加メンバーで「サークルを作ろう!」となり、その場のノリでサークルの初期メンバーになったのがすべての始まりでした。その後サークルはトントン拍子で大きくなり続け、2年後には100人超のメンバーを抱える一大サークルに。そして私はその副代表でした。
このサークルの活動資金は、ビジネスコンテストやプレゼンに出て優勝すると頂ける、ウン百万円という助成金。当然、私が副代表なのでビジコンやら、プレゼンをすることになります。
なので、自然とプレゼンに強くなりました。
またこういった助成金をいただくのには、人脈がモノをいいます。
そこでサークルの顧問になってくださった大学教授の紹介で、いろいろな方とお会いしていました。まずは上場企業の顧問、東大教授、自治体の市長や町長。そして国土交通省・環境省・内閣府といった中央官庁に、自民党の衆議院議員。果てには大臣経験者や長官の名刺まで頂き、総理大臣夫人にもお会いしました。
こんな状態だったので、大学生のときの私は調子に乗りまくってました。
プライドは高くなりすぎて、自分でも抑えられなかったです。なにせ、大学生のくせに授業が終われば永田町や大手町、銀座に通う毎日。名刺入れにはニュースでしか見たことのない方の名刺を何十枚とコレクションしている状態。しかも紹介で、かつ学生なので、お金は一切かからないというオマケつき。
そりゃあもう、超楽しかったです。
そして考えました。こんな楽しい大学を卒業してたまるか、就活なんかしたくない、と。
でも当時の私のプライドは高すぎる状態。そこで「経歴を汚さずに留年したい」という、都合の良い方法を考えた結果…
「留学に行けばよくね?」
ということで、一番英語の成績が低くても済むアメリカの大学を探し、そこに留学しました。英語はできなかったです(「この洗濯機使っていい?」が言えないレベルなのにアメリカに行きました)。ただ「アメリカ留学」という肩書がほしかったのだと思います。ここで半年ほど過ごしました。もちろん交換留学などではなく、ただの語学留学です。
この「アメリカ語学留学」という肩書は、結果としてさらに私のプライドを高くすることにしか役に立ちませんでした。実にしょうもないです。
プライドが高すぎて就活に詰む
それでも、そこそこ楽しかったアメリカ生活も終わり、日本に戻ってくると現実がやってきます。
それが「就活」です。
当初、私は就活も楽勝だと思っていました。なぜなら、
●たった二年で組織を100人以上にした経験
●100人を超えるサークル副代表の経験
●プレゼンだけで企業相手にウン百万を頂いた経験(それも複数回)
●アメリカ留学(笑)
●そこそこの学歴(早稲田大学教育学部)
という、就活で話せる経験が山のようにあったから。「他の就活生なんかより、ずっと凄い経歴をいくらでも持ってますけど?」「ガクチカなんかいらないでしょ、適当に話せばいい」と本気で思ってました。
そして、四年生の夏から就活を開始(「遅っ!」と思われるかもしれませんが、一年留年しているので三年生の夏から始めたのと同じです)。
…ところが、全然うまくいきませんでした。
50社以上から落ち、志望業界を6回変えるダメダメ就活
当時は、景気が上向いていた期間が過去最長で続く「空前の好景気」。企業は積極的に採用を進め、買い手市場だと言われていました。大学にも楽観的なムードがありました。
なのに、全く内定をもらえない。
WEBテストは問題なく通る。ESも通る。一次面接も通る。ところが、そこから全くダメでした。二次面接で落とされたり、三次面接で落とされたり、最終面接で落とされたり…。
ひどいケースでは最終面接のあとに「ほぼ内定だけど、確かめたいことがあるからもう一度だけ面接しよう」と言われて面接をし、落とされたこともありました。
何かがおかしい。改善しないといけない。
ただ、ここでプライドが邪魔をしました。まったく面接の反省や分析をしなかったんです。そして、同じことを繰り返していました。当然、また落とされるだけなのですが。
反省しなかったもう一つの理由として、時間的な余裕がありました。
三年生の夏という早い時期からやっていたので、ずーっと「まだ大丈夫でしょ」と思っていたんです。
三年生の秋
→「まだ採用活動している企業のほうが少ないから、たまたま運がなかっただけ」
三年生の冬
→「まだインターンだし、本採用じゃないから大丈夫」
四年生の春
→「6月に就活解禁で内定が出るから、いまは内定がなくても大丈夫」
こんな感じで「まだ大丈夫」「まだ大丈夫」と思い続けていました。
さらには「こんなに落とされるのはこの業界は向いていないんだ。志望業界を変えよう」という言い訳も登場。志望業界をコロコロ変えていきました。合計で6回ほど変えたと思います。
その間に落とされた企業の数はよくわかっていません。
あまりにも落ちる現実を、自分で直視できなくなっていたのだと思います。落とされた企業をカウントするのは、50社を超えたあたりでやめました。
ひたすら落ちた言い訳をしながら、自分だけスーツを着て、就活を続ける。友だちにも言えなくて(かっこ悪いから)、だんだん孤独になっていきました。何の役にも立たないプライドだけを頼りに、同じことをひたすら繰り返す日々。これを十ヶ月ほど続けました。
そして4年生の6月、就活解禁の時期。
まだ内定はゼロでした。
親に言われて無理やり就活を終わらせる
6月の終わりになり、親に呼び出されました。
親に就活の進捗を報告するのは、ずっと避けていました。現実を受け入れられなかったからです。当然、それまで何も親には言っていませんでした。ですが、もう隠すのも限界でした。
呼び出されると、超怒られました。
「プライドを捨てて、内定を取りなさい」
それが親から出された結論でした。
逆らうわけにはいきませんし、事実その通りです。自分でもよくわかっていました。もう夏になろうとして、就活のシーズンは終わっている。なのに、もう一年近く就活をやっていて、結果はゼロ。
「プライドを捨てろ」という結論は、あまりにも当然でした。
そこからは、ある就活エージェントを頼りました。
そのエージェントは親身でした。私の当面の希望を叶えるような求人を見つけていただき、そこで内定をいただきました。すでに、時期は4年生の秋。夏も終わり、涼しくなり始めていました。
もはや選択肢はありません。私はその内定を承諾して、就活を終わらせました。
新卒で入った上場企業で人事もどきをやる
そして、新卒としてとある企業に入社しました。IT系の上場企業でした。
私はマーケティング業務に関わることになります。
しかし、どんな企業でも新卒でやらされる仕事は限られています。
私はそんな現実に耐えられませんでした。そこで直接人事部長の元まで行き、
「もっと面白い仕事がしたいです!」
「いろいろな仕事を見てみたいんです!」
…と極めて失礼なことを平気で言う、無茶苦茶なアピールを続けていました。
もちろん門前払いですが、その程度では諦めません。
そして数カ月後。ついに人事部長が折れました。
「うーん、じゃあ人事の仕事やる?」と。私は有頂天になり「やります!」と二つ返事で承諾しました。
今から考えれば、企業にとって新卒なんてのは戦力外、おもちゃのような仕事しかできない。逆に言えば、ある程度自由に新卒に仕事にやらせても企業にとって大した差はなく、辞められても困るので仕方なく別の部署の仕事をくれたのだと思います。
しかも人事の仕事なら人事部長の下である意味監視されるわけですから、変なこともできません。
ですが、私にとってはそれで十分でした。
そのようにして、私は人事関連の仕事をすることになったのです。
プライドの高さが災いして会社を辞めてしまう
しかし、ここでも私のプライドの高さが邪魔をします。
人間、社会人になったからといってすぐに中身が変わるわけではありません。大学生時代からの「プライドの高さ」は相変わらず温存されていました。
結局、新卒で入った企業は辞めることになります。たったの一年ほどのことでした。
これはいわゆる「早期離職」(三年以内の離職を「早期離職」といいます)であり、この時点で私は正式に就活に失敗したということになります。
このあとは、個人事業主として仕事をすることになります。
幸いにして稼げる案件を見つけることもできましたし、当面の収入には困りませんでした。何より会社員ではなく様々な形で仕事ができるというのが、しょうもない私のプライドを適度に満たしてくれたのです。この時期には、とあるスカウトサイトの運営に関わったりしていました。
さて、ここまでくだらないプライドをなんとか保ってきた私ですが、それもついに終焉を迎えます。
それが、自分でやった複数の事業の失敗でした。
事業の失敗を通して(ようやく)自分の限界を知る
個人事業主時代に、自分でいくつかの事業を作ろうとしました。
途中まではうまくいったものもありました。が、立て続けに失敗でした。
最初にサイトを作って、失敗。
「テーマがないのがダメだ」ということで、テーマを絞ったメディアを作ろうとして、失敗。
「メディアよりも具体的な課題解決が必要だ」ということでアプリを作ろうとして、失敗。
「自分だけでは失敗するので、ベテランの方と組んで事業を作ろう」として、失敗…。
結局、全て失敗でした。これ以外にも、山ほど失敗をしています。
様々なパターンで嫌というほど失敗して、ようやく悟りました。
「自分は特別じゃないんだ」と。
ようやくここで、私は自分の過去を振り返って反省をしました。
そもそものプライドの高さの原因は、大学時代の中途半端な成功(?)です。ただ、それはよく考えてみると、単純に周囲のお陰です。たまたまその場に居合わせたというだけで、サークル副代表になった。お偉方との名刺交換にしても同じこと。私の人脈がすごかったのではなく、顧問になっていただいた大学教授のご縁に過ぎません。
そして新卒時代に本来の職務を離れて人事関連の仕事をさせて頂いたのも、人事部長の理解があったから。自分の実力ではないのです。
つまり全てにおいて環境に恵まれていただけなのに、自分の実力だと勘違いしていた。
ただ、それだけのことだった。それに始めて気が付きました。
そして、考え方を根本的に変えることにしました。
それまでは「自分の実力で事業を作り上げる」と思っていました。ですが、その考え方は間違っていた。自分は能力的に恵まれているわけではない。現に、自分の力だけで事業を作るのは無理でした。
「まず自分ができることを生かして、周囲の役に立つ。事業はその結果としてついてくる」と、考え方を改めました。
今までの経験の棚卸しをする
そして今までの経験の棚卸しをしました。
そして、今の私が誰かの役に立つには「就活で苦労した経験を活かすしかない」という結論に至ります。
というのも、自分の経験の棚卸しをしてみると、やたら人事に関することばかりをしていたからです。就活で苦労したのもそうですし、新卒で入った企業では人事もどきの仕事、その後スカウトサイトの運営もやっていました。
つまり、ダメな就活生の経験もあり、それを(ゆるく)採用する側にも立ったことがある。
しかし、一つ足りないことがありました。
それは超人気企業で働いた経験です。つまりガチな就活で、成功体験を積んだことがないのです。それがないなら、就活について誰かに教えたいと言っても限界があります(ちなみに私が新卒で入った企業は、お世辞でも人気企業とは言えない会社でした)。
つまり厳しい選考をしている人気企業できちんと働かないと、採用の裏側を知っていることにはならない。
そこで、とある巨大企業の面接を受けました。売上は兆円レベル、就活ランキングでは毎年上位に食い込み、新サービスを発表するとNHKの夜7時のニュースに出てくるレベルの企業です。
結果として、なんとかご縁をいただけました。
この企業は私がダメ就活生時代に二次面接で落とされた企業でした。落ちこぼれ就活生が、なんとかカムバックを果たしたのです。
自分の経験を活かす方法を考える
ここまでの経験をまとめたのが、このサイトです。
就活で苦労し、新卒入社の企業で人事に関わり、個人事業主時代にスカウトサイトの運営、今は現役で超人気企業の総合職。キラキラしているように思うかもしれませんが、実際はネタみたいなプライドに振り回された結果に過ぎません。
ただし、その結果として
●「落とされ続けるダメ就活生」
●「上場企業の採用側」
●「スカウトサイトの運営」
●「超人気企業の総合職」
という、普通なら両立しないであろう立場をすべて経験してきました。
そこからみなさんの役に立つことがあれば、全力で還元したい。そのためにできることを考えた結果、このサイトは生まれました。
「就活は恋愛だ」
「就活は恋愛だ。」というのは、私が個人事業主時代にとある方から教わったことです。
その方はスカウトサイトの経営者です。常々「仕事のマッチングは恋愛と一緒」と仰っていました。
どういうことか。
恋愛は、どちらかに依存するとうまくいかない。異性に対して過度によりかかってしまうと、結局はどちらかに負担がかかり、別れてしまう。
別れないカップルは、自分がやりたいことをしつつも、相手の欠点を補うことを忘れない。そうやって二人とも成長していくんだ、と。
仕事も一緒で、「その会社にいる」というだけで企業に寄りかかってしまうと会社のお荷物になってしまう。かといって企業が会社員を過度に管理するのも、結局は企業の為にならない。
そうではなく、自分も会社も互いにある程度やりたいことをやりながら、弱点を補い、理想に向かっていくのが理想なんだ、と。
私もそう思います。理想的な恋愛と同じように、自分も会社も高めていける。そんな企業をみなさんが見つけることが、就活のゴールだと言えるのではないでしょうか。
「青臭い」と思うかもしれません。「現実はもっと厳しい」というご指摘もあるでしょう。
が、あくまで理想は「企業」も「あなた」もやりたいことをやりながら、お互いにWin-Winの関係を築くことにあると信じています。
そのために私の経験を就活生の皆さんのために活かしたいと思っています。
私が今いる環境や、かつて苦労してきた就活、人事もどきの経験、そしてスカウトサイトの経験。これらすべての経験から、みなさんの就活のゴールを見つけることの役に立ちたい。本気でそう思っています。
そのために、みなさんに情報配信しています。
LINEでの情報発信もその一環です。もちろんすべて無料ですし、元ポンコツ就活生で人事関係者だった経験から、本当に役に立つ情報を選りすぐりで送っています。
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そして、これまでの私の話が面白くなかったよ、という方。それでも構いません。
ここまで読んで頂いたということはこのアホすぎる身の上話で、少しでも辛い就活の合間に暇つぶしができたということでしょう。それもまた、皆さんの役に立ったのだなと思います。
最後に。
重ね重ねになりますが、何らかの形でフォローいただけるのであれば、幸いです。よろしくお願いいたします。
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