見出し画像

「躁は巧妙になる」『いのっちの手紙』(坂口恭平)に共感する

 坂口恭平さんの『いのっちの手紙』にこんな一節がありました。

僕の躁行動は例年に比べ、巧妙になってきてます。自分でも躁状態であるということに気づけないことも多いです。(略)九時に寝るだけで自分を(躁じゃない)と騙せちゃうんです。

『いのっちの手紙』p.76以降

 この感覚に共感します。 
 私の場合は、「服」です。
 躁になると明らかに服が変わっていました。昨日まで暗い色の服を着ていたのに、突然明るい色の服を着て「気分転換も大事よね」などと言い始めるのです。
 今は外出の時、ほぼ同じ色のトーンの服を着るように心がけています。だから「私は躁じゃない」と自分を騙すことができます。周りの人からも気づかれません。 

 それでも今は、誰かを巻き込んで企画する、お金を浪費するみたいなことはなくなっているので、

『いのっちの手紙』p.76

 躁は他人を巻き込むと思っています。自分を正当化したり被害者に見せたりするようにも思います。
 躁は賢いのです。

 そこに気づいている坂口恭平さんの、第二の視点(多分メタ※下に引用しました)のようなものがあるように思えます。

 躁はいつまでも同じ様相を見せるとは限りません。「巧妙になった」躁にも気づいていきたいものです。


いいなと思ったら応援しよう!