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ペースを落として生きること(双極症)
双極症の私が生きるために必要なのは、「ペースを落とすこと」
じゃないかと思います。
「やれるやれる」と教えられ、どんどんつめこんだり、いい方向を目指したりしてきたのですが、果してそれは双極症に良かったのでしょうか。
上昇志向はあるのですが、力の半分くらいで取り組んでた方が色々うまくいくような気がします。(以前は120パーセントくらいで生きていました。)
頑張るとか、息を切らすことで、双極症と生きていくことが簡単になるかと思うと、そうじゃない気がします。自分の双極症と手をつないで、ペースを落として生きた方がいいんじゃないかなって。
(追記)
そして後から思えば、焦って生きてた自分より、ペースを落として生きてる自分の方が、本来の自分な気がします。焦りはすでに躁の入り口に思えます(2024.2.7.)
うつ病治療をしつつ、カウンセラーの資格を取りたいと大学に通っている人と知り合い、同じ大学に誘われたことがあります(社会人入学で)。
境遇が似ていて、話が合ったので行ったのですが…。そこまでしないといけなかったのかと振り返って思います。
精神科にかかるようになると、心理士やカウンセラーになりたいと思うことがあります。私もその気持ちがよくわかります。けれど、かなり努力しなければ大学院の単位は取れなかったです。
そこまでしなくてもいいんですよ、専門家にならなくても。
ふつうに生きるのです。日々波を作らないようにやりくりしていくこと、それで十分なんじゃないかと思ってます。
普通に生きられない、それはどんな心の動きから来ているのでしょうね。もしかしたら「劣等感」かもしれないと最近は思っています。
(下のツイッターにも深く共感しています)
中高生のカウンセリングしてると、例年「私の辛かった体験を活かすためにも、カウンセラーになりたい」とのお話を聞くことがあります。 その時に、私がお伝えするのは「『辛かった体験を活かそう』と思う段階は、まだその辛さがあなたに残っている段階なのかもしれない。本当に辛さが処理できた人は『人のためよりもまずは自分ために、今後の人生を幸せにするぞ!』って思える事が多いと思う(略)@yana7654321