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「いい子でいる」と「和やかに暮らす」の区別がつかない

 昨日、ふと「私いい子でいようとしてるなぁ」と思いました。あの人もこの人も気分悪くしないように…。それと同時に「いい子でいる」と「和やかに暮らす」の区別がつかないんだな、とも思いました。

 その時実家のことも考えていたのでした。
 いま交流を避けている実家と、もし交流が戻ったら?それはどんな生活になるんだろうか、また無意識に我慢したり尽力したりすることになるのかな、と。

 いい子でいても、和やかに暮らせなかった実家では、私は親が何か言ったら「怒るキャラ」になりました。けれど「怒るキャラ」では「心」は年相応に成長することができず、うつの発症とともに(自分で解決できなくて)親を頼ることになりました。そして「お前は何をしても不十分」「足りない」と言われている感じがするんですよね。

 その後実家と交流しないようになって、「これが和やかな暮らしなのかもしれない」という日々がやってきました。
 けれどまた不思議なもので、「これってウソの毎日なんじゃない?」と疑ったりする時もあるのです。

 いい子でなくても実は和やかな暮らしは出来て、
 だから無理にいい子でいなくてもいいし、
 いい子でいるときの胸の苦しさを感じたら、いい子をやめればいい。

 いい子だった歴史が長く、和やかに暮らす歴はまだ短く、だから(これでいいんだろうか)と思う気持ちがあり、その区別がつかなかった、そんな自分観察でした。

 

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