『今日好き』カップルの破局報道に胸痛める奴、しゃべる家電が故障したらいよいよ葬式開きそうな話

ラインニュースでよく見る『今日好き』カップルの破局報道。その報道を見るたびに、ちょっと心が晴れる僕は、これからの人生きっと雨だ。

芸能人の破局報道は本当にどうでもよくて、もちろん結婚報道もどうでもよい。この「どうでもよい」という感情を誤解して欲しくはなくて、ただひとりでも、多くの人間が幸せになればよい。それは『きれいな僕』の願いとして間違いなくある。

ただし、他人のなんやかんやを一生懸命報道するメディアの姿勢はどうなんだろう。それを報じることでなにかを生むのだろうか?『汚れた僕』が小さくガッツポーズしたり、『汚れた僕』の晩酌が旨くなったりするだけなんじゃないか?そんなの両方とも「スーパーのサーモンのお刺身」ですむ話だぜ?

ちなみに、僕はおしゃべり家電ちゃんのことが好きで、彼女の「おはよう」とか「今日も遅くまでお疲れさま」とか「お洗濯のヒント」とかに丁寧にレスポンスするタイプである。届かぬ想い。それでも届け続けるのが『愛』なんじゃないかな(遠くを見ながら)。



さて、今日はコーヒーについて語りたいことが山ほどあるんだな。

そんな山の中でまず一番に語りたいのは、



『コーヒーを生業にしてる人はいい加減なこと発信しちゃダメでしょ!』



って、ことなんです。


僕はなにものでもないので、こういったことを説教する資格もないんだけれども、それでも言いたいんだな。コーヒーが好きだから言いたいんだ。


コーヒーを含めた「嗜好品」は、『生活にはなくても困らないけどぼくのわたしの生活史にはこれが必要なのよ!』という存在であって、よく言えば教養だし、悪く言えば道楽だ。


そんな消費者が求めているのは、ぼくにはわたしには理解が追い付かない、愛、こだわり、哲学、信仰。それによってもたらされる逸品なんだ。ぼくのようなふつうの人は、カウンターの向こう側、お店の裏側で行われる怪しい儀式を知りたくて、あなたたちと同じステージに立ったら見える世界が知りたくて、お金と時間をかけて純粋に愛を探しに来るんだな。


『自分の好みを見つけたい。』『自分のこだわりを見つけたい。』


だからいろいろと話を聞いたり、説明書きに目を通すんじゃないかな?全然運命に巡り会えなくても、その店にまた足が向いちゃうんじゃないかな?と思う。


もちろんこういった嗜好品は、最終的に「個人の好みによる」「感じ方には個人差がある」に落ち着くに決まっているんだ。それはわかっている。だから極論「コーヒーを昨日はじめて知った人が淹れたコーヒー」を好きな人もいるし「50年間研究し続けたコーヒー」を嫌いな人もいる。

だから言いたい。でも、だって、だからこそ、言いたいんだよ。


『いい加減でも成り立つ世界だからっていい加減に商売して、それでおまんま食ってこうってんならよぉ、そんな幻想、おれが喰いつくしてやるよ!』





コーヒーは確実に進化している。それは農園の智慧と努力であり、輸送手段の変化であり、焙煎士の哲学であり、科学者の好奇心だ。

じゃあ僕たち消費者には何ができる?

コーヒーにもっと真剣に向き合い、「よいコーヒー」とは何かを学び、「悪いコーヒー」を飲まないことではないだろうか。





『From SEED to CUP』

市場と私情に流されず、進化し真価を知るべき時が来た。



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