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自己満足のススメ
半世紀以上生きてきて、私の中に生きやすくなるための完全無敵な思考が定着した。
それは…
人生ってやつは、どーでもいいことばかりだ(-.-)y-..
という事!
他人になんと言われようと、自分が満足できればそれでいい。
上を見てもキリがないし、下を見るのは傲慢だ。
だいたい自分を苦しめるのは、自分自身の感情なのだ。
他人になんと言われようと、自分だけは自分の味方で、自分を否定する輩は、妄想の中で成敗してやればいい。
SNSでの誹謗中傷がよく問題視されるけど、アンチコメントをする輩の数って、めっちゃ少ないらしい。
ノイジーマイノリティと言って、全体の2割くらいらしい。
それでも、それが目立つのは、言葉の強さのせいだ。
言葉は人を殺す刃にもなるものだから、その威力に負けそうになる。
私も昔、夜中の子供の足音に激怒した元旦那が、上の階の人に怒鳴り込みに行ってしまい、旦那さん不在時に起きた夜中の恐怖で上の階の人が引越す事になった時に、電話で「死ね」と言われたことがある。
私は元旦那を止めたのに。濡れ着なのに。
その鋭い言葉は、私の心に刺さって、なかなか傷は癒えなかった。
それでも、母子だけで過ごしていた夜中に、突然大人の男性に怒鳴り込まれた上の階の女性は、私が「死ね」と言われた以上に怖かったに違いないと、相手側に寄り添って思えば、自分の傷も癒えてくる。
起こる現象も、人の言動も、一方からしか見ない景色と、いろんな角度から見た景色は全く違う。
だから、沢山のそれぞれの立場の正解があったり、それぞれの立場に同情すべき点がある。
だからこそ、起こった事や、人の言動に、いちいち心を揺さぶられないことが大事だ。
『生きやすさ=自分の感情に揺さぶられすぎない事』だと、長く人生やってきて学んだ。
血気盛んな若い頃は、自分の感情に振り回されて、本当にしんどかった。
今は、何が起きても意外と淡々としていられて、すごく楽になった。
自分の感情に振り回されないコツは、「どうでもいいや」とか「まあいいか〜」と、起きた事をポイっと手放すこと。
誰かに怒られたとしたら、怒られた言動のみ反省すればいい。
自己否定なんて無駄な事はしてはいけない。
自己否定ってヤツは、自分にとって毒にしかならない。
誰かに、身に覚えのない事で理不尽に文句を言われたら、聞き流しながら、心の中で「ハゲてしまえ」とか「ウンコ踏んじゃえ」程度の呪いの呪文を唱えればいい。
他人と自分を比べるのも無駄。
比べてどうしようと言うんだろう?
私は人を羨んだこと、比べたことは、殆どない。
だって、魔法でも使えない限り、現実は変えられないのだから、その程度の自分を受け入れるしかない。
その程度の自分を認めて愛することが大事だと、今私は心から思う。
自己満足でいいのだ。
自分が満足することが、自分の人生の基本であるべきなのだ。
他人からの評価は他人のもの。自分のものじゃないから気にしなくていい。
しかも!年を重ねれば重ねるほど、他人からの評価はなくなっていくし、捨てていかなければならない。
過去の栄光を引きずっても、自分がシンドイだけだ。
人は殆ど誰もが、人生の最後は何者でもなくなって死んでいくのだ。
だから、肩書きなんかより、元◯◯と言われるより、家族や少数精鋭の友人知人に、涙して見送ってもらえる人生の方が成功者と言える。
自己満足こそが、人生のフィナーレにふさわしいのだ!
人生ってやつは、8割くらいどーでもいいことでできている。
長く生きていると、どーでもいい事と大切な事の仕分けが、割と上手にできてくるから良い。
特に自己肯定感なんて持たなくてもいいから、天才バカボンのパパのように、「それでいいのだ」程度に、自分を受け入れていれば、俄然人生は生きやすくなる。
自己満足でいいのだ♪(´ε` )
では、また(๑˃̵ᴗ˂̵)