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自分に合った方法で

料理人という職業は時に華々しく表の舞台にも立つことができる。
業界に身を置く以上、シェフとして名が知れた著名な人を何人かは知っている。
三國さんもそのうちの一人だ。
時代背景的にも厨房の中での暴力が横行していた中で、上へ這い上がっていくバイタリティは並大抵の人にはできない。
技術とセンスと体力と根性と。
一流と呼ばれる人は本当にすごい精神力だと思う。
この本にはそんな時代を駆け抜けた軌跡が綴られているのだけど、ぼくが感心した部分は違うところにあった。
それはほんの少しだけ最後の方に綴られていた。


若くして名を上げて成功をほしいままに自らのお店を30数年続けて関わる人もたくさんいる中で昨年閉店した。
現在67歳、現役を引退してもおかしくはない。
夢があると言う。
それを叶えるために閉店したと言う。
3年後の70歳に一人でできるくらいのお店を始めるために。
自分の料理を思う存分作りたいと言う理由で。


名前がブランドになり、お店の規模が大きくなるとどうしても料理と向き合う時間は減ってしまう。
社交の場に足を運び、メディアに露出してと、限られた時間は料理以外のことに追われてしまう。
なによりスタッフに自分の料理を伝えるためには、どうしても自分の感性をレシピや数字などに落とし込まないといけない。
この部分には深く共感した。
感性は人に教えることができない。
食材の状態を見てその場でメニューを決める。
相手のことを考えて作る。
それらを叶えるためには近い距離感でないといけない。
やはり料理という芸術を扱う上で、この形が表現者にとって究極ではないかと思う。
それを70歳からやるという心意気にしびれてしまった。
それ以上に何を求めるんだという周りの視線なんて関係なく、自分が望んでいることをやり遂げようとする姿勢が励みになった。


自分は何を表現したいのか、そのためにどのような手段をとるのか、どんな方法が最適なのかを常に考える。
料理ひとつとっても、一人で料理を提供する方法もあれば、大所帯で運営するお店もあれば、先の冷水さんのように料理研究家、他にもフードコーディネーターや料理教室などの方法がある。
どれが正解とか儲かるとかではなく、自分の特性にあった表現方法が必ずあると思う。
適材適所、才能をどこで発揮するかの問題なのだ。
まだまだ思考の深さが足りないことを反省した。
ただなんとなく血は騒ぎ出している。

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