🍎偏差値45の教員。先生になる

体育館の窓の鍵が閉まっているかを確認しに1階に向かった。真っ暗の校舎は青井先生の表情を隠す。体育館につき、電気を付ける。体育館の隅に、バスケットボールが1個だけ落ちていた。
「バスケ部、片付け忘れたな。」と、言って、青井先生がボールをパスしてくる。
「そういえば、青井先生は何で先生になですか。」
と言って、また青井先生にボールを渡す。
「私、下の名前が唯子やねん。」
そう言って今度は片手でバウンドパス。
「知ってますよ。」
同じくバウンドパスで青井先生にボールを返す。
「誰も私のこと呼び捨てにしてくれなかった。唯子さん唯子さんってみんな呼ぶねん。」
青井先生が今度はチェストパスをする。バスケットボールは重く受け止めた衝撃が胸の前にくる。
「上品ですね。ご両親もですか。」
と言ってチェストパスをし返した。私が投げるボールはふにゃふにゃで、真っ直ぐ青井先生の胸に刺さらない。
「せやねん。うち、親が離婚してて転校もしてて。継母がうちに遠慮して、さん付けで呼ぶねん。周りの友達も、親しくないからさ。うちだけ唯子さん呼びなの。それが嫌で、怒られたくて、わざと悪いこともたくさんした。でも、いつまで経っても私は唯子さんなの。」

青井先生がドリブルしてシュートをうつ。ボールが宙に弧を描き、ゴールの網の中にスポッと吸い込まれていく。青井先生は小さくガッツポーズをした。
「中学の担任だけ、うちのこと唯子って呼んでくれた。」
「今の時代呼び捨てしたらアウトですね。私、この前生徒を呼び捨てにして怒られました。」
「そうだろうね。でも、うちさ、うちはね、嬉しかった。1人だけ距離を置かずに接してくれたことに。だから、うちもそうなりたかったの。生徒の身近な存在になってあげたかった。」

と、言ってボールを体育館の倉庫に片付けに行った。青井先生は、自分のことをさらけ出して話すときエセ関西弁になる。隠したい本心がまだどこかにあるみたいだ。

青井先生は、20時になるから行こう、と言って体育館の電気を消して鍵を閉めた。生徒と親しくなりたいのに、接すれば接するほど裏切られることも多くなる。それでも、距離を縮めようとする青井先生は本当はささくれだらけの体を引きずっているのではないかと思った。
「私、青井先生のこと、ゆいちゃん呼びして良いですか。」
と聞いてみた。青井先生は、いつも通りの大きな笑い声をあげて
「5個以上歳下の子に、ちゃん呼びされるの初めて。もちろんいいよ。はるか。」
と言って、また笑った。
私は呼び捨てにされて、少し恥ずかしくなった。

真っ暗で埃臭い静かな校舎内では、私たちの笑い声が狭い廊下の壁に当たり反響していた。