規格外野菜を美やアートの視点で少し考えてみた
昨日、地元の農家さんのところで甘長ピーマンの収穫と選別作業を体験させていただき、「規格外野菜」について深く考えさせられました。
収穫では、サイズや形、色によって厳密な基準があります。Lサイズで真っすぐな緑のものが最も価値が高く、少しでも曲がっていたり、赤く熟しすぎていたりすると、出荷できないか値段が下がってしまうのです。
でも、不思議なことに私の目は、むしろ「規格外」とされる野菜たちに惹かれていきました。少し曲がっていても、色が変わっていても、栄養価も味も変わらないのに。同じ土地で、同じ太陽の光を浴びて育ったのに、なぜ「規格外」として扱われなければならないのか。
この話を、淡路島に住む友人の活動を思い出しながら、夜、海辺でビールを飲みながら別の友人と語り合いました。その友人が「人間だって、髪の毛がクリクリしているからダメって選別するようなものだよね」と言ってくれて、はっとさせられました。
淡路島の友人は、規格外野菜を正規の価格で農家から買い取り、「個性ある野菜」としてオンラインで販売する事業を始めています。フードロス削減にもなり、収益の一部は子ども食堂への寄付にも。素晴らしい活動だと思います。
でも同時に、そもそも「規格外」という概念自体がなくなればいいのにとも思うんです。曲がっているか真っすぐかは、ただの個性。むしろ、その多様な形の中にある美しさを見出せたら。
友人との会話は、アート展の話にも発展しました。規格外野菜の美しさを写真や作品として表現する。でも究極的には、わざわざ「規格外の美しさ」にフォーカスを当てる必要すらない世界。そんな理想も語り合いました。
星と月を眺めながらの深い対話。友人が新しい視点を与えてくれて、考えが広がっていく。そんな素敵な夜でした。
▼こちらの内容は、ポッドキャストでより具体的な話もしていますので、良かったらこちらも聞いてみてくださいね。