「当たるといいね〜」 もうお決まりフレーズだった。 仕事と健康だけに没頭した父が亡くなった後に母を支えてくれた1つは「藤井風」さんだった。 父が存命の時、控えめな母は隠さないけど大っぴらには藤井風さんのことを言わなかった。が、亡くなって数ヶ月経つと真似てビーガン食を始め、ライブが発表されると1人で行く気満々だった。 ところが蓋を開けると2次抽選でもチケットが当たらなかった。 年齢か? コンビニ決済だから? さすがの母も1人なら当たるかなと期待してたらしい。 以
誰かが亡くなる気持ちは近しい人しか分からないことが多く、それはまだ両親が存命な夫とさえも理解し合えないほどなので、あまり言わない。 ただ親が亡くなることは自分への影響があること。そして、命の終わり方を考えるきっかけになると思う。 どんなに構えてても心は普通ではいられない 甲状腺がんの手術をして退院した3日後、父が入院した。実際この3日後の夜に亡くなる。まるで私の手術を待ってるかのようだった。 余命宣告 父は10代、30代、40代と手術をしていて、予後が良くないことも
産んだ後のこと。 母乳で授乳は家族を制す。 産院での1週間検診で私が「母乳頑張りたい」と言ったら、助産師さんがとても喜んでくれて添い乳を教えてくれた。 助産師さんは「うちの病院は小さく生まれる子もいるのもあると思うけど、この検診の時に授乳の大変さから、母乳は少なめでミルクにします、というママさんが多いんです」と言っていたのが印象的でした。 同時期に私の周りで産んだ人も1年未満でやめてる人がほとんど。最短は3ヶ月。 私の母は1歳半くらいまでだったらしい。 その話とリン
甲状腺がんはなってみて調べるとあまり情報が多くないと感じ、綴ろうと思いました。 お風呂に入るエネルギーがない、何もする気が起きない・自然とずっとボーっと座ってるなどは甲状腺の機能の低下の入り口なのではないかと個人的には思います。 動けない… 産後8か月の夏、身体にとても疲労感があり、実家の母に助けを求めたら、「病院に行ってきな!」と半ば無理矢理通院。 血液検査の結果、甲状腺の値が低いとのことで紹介状を書いてもらい、表参道に通院。 ここは母も通院してたところで、弟の産
FT2回やってます。 「AMH低めですね。うーん、子宮筋腫あるね。手術するか〜?すると半年はタイミング取れないしな。ま、また来月来て下さい。」 3つ目の病院の初診で田舎出身の医師はどこか温和な空気を持っていて、柔らかい口調で言った。 「体外受精」て言われなかったな、と思いながらも医院を変えてやる気に満ちていた私はあまり気にしなかった。 看護師さんに「体外受精考えてる?」と検査の時に聞かれたし、通ってるうちに言われるかな、と期待していた。 今も当時も体外受精の専門の婦