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藤井風ライブに71歳母を連れて行く
「当たるといいね〜」
もうお決まりフレーズだった。
仕事と健康だけに没頭した父が亡くなった後に母を支えてくれた1つは「藤井風」さんだった。
父が存命の時、控えめな母は隠さないけど大っぴらには藤井風さんのことを言わなかった。が、亡くなって数ヶ月経つと真似てビーガン食を始め、ライブが発表されると1人で行く気満々だった。
ところが蓋を開けると2次抽選でもチケットが当たらなかった。
年齢か?
コンビニ決済だから?
さすがの母も1人なら当たるかなと期待してたらしい。
以前はコロナの流行や父の病状で申込みさえ断念していた。
そこへ私のスマホOPPOはファンでもない私に藤井風の3次抽選があることを教えてくれた。
すぐさま母に連絡。
「3次あるんだね!やったね!」
そしたら
「スタンド席は若者向けだろうから、年寄は愛を持って身を引くの」
との返事。席の件は母の勘違いなのだが、好きならなりふり構わず行くタイプの私としては申込みを勧めた。
すると、父の余命宣告の際にクレカも解約したので、クレカ決済前提のチケットは「実際に申込めないの」とやっと本音を教えてくれた。
それを聞いてなんとなく自分が申し込もうと動いた。
知れば知るほど当たらない気がしたが、なんとなく望みはある気がした。
願望だったかもしれない。
昔から私はくじ運が強い時がある。
当選した。
「当選しました」と連絡した時、母が喜んでいるのか分からなかった。
5時間後のスマチケの分配の連絡をした時にやっと「(ライブまでの)明日が長い」とじわじわと実感してるのが分かった。
私が小学3年生の頃、3歳の弟を連れて、母は光GENJIのコンサートに何度か連れてってくれた。
今回はその時の立ち場が逆転したような感覚が行く前からあった。
座席はスタンド席。日産スタジアムの天井の方。ステージ真横でセットが見られない。
ところが、始まってしばらくしたらスタンド席用の液晶画面が突然バン!と映り、ステージを見せてくれた。
その時の母の目を開いた喜び様。
藤井風さんが歌ってる時の母の踊り様、手ぶり、かわいらしい腕の動き、自分の世界に入り切っていた。
ライブ終盤に入ったあたりで泣き虫の母は目に涙を浮かべ、拭っていた(♪満ちてゆく)。
その間、私は少し身を引いて涙を拭う母を見ていた。自分も涙が出た。
「連れてきて良かった」
見守るような愛おしいような、そんな気持ちだった。
いつからか、父が亡くなった今年に母を藤井風のライブに連れて行くのは意味があると思った。
4年間行けずに我慢して、父の最期を見届け、気丈に振る舞い、4人家族が居た家に1人で住む母。
やっと私が結婚した時が親孝行1つ目。
息子を産み、孫を抱いた時が親孝行2つ目。
藤井風のライブに行ったのが母孝行3つ目。
勝手ながら、母は死ぬまでに1回は藤井風のライブに行きたいと思ってたのではないか。
そういう意味では1つ叶えられたのかな、と娘としての果たした思いを感じながらも寂しかった。母がいつかはいなくなることを感じた。
帰り道、楽しかったと何度も言った母。
「今年は思いがけないことが結構あったな。今日24日でしょ?」
父の月命日だった。
狙ったわけではない。たまたまだった。
ちょうど半年経っていた。
やっぱり夫婦。忘れてないんだな、とまた愛おしく思った。
藤井風 日産スタジアム”Feelin’ Good”にて