【山行】パノラマ銀座 燕岳~大天井岳~常念岳~蝶ヶ岳
夏休みは始まったばかりだというのに、私は既にクライマックスであった。
8月初頭、私は友人たちと長野に旅行していた。18切符で松本へ、松本城に上り、諏訪湖を一望し、人生初の快活クラブに泊まり、一緒にバドサークルの合宿に臨み、、、とにかく長野のすべてを楽しみつくしたといってもいいだろう。あとは東京に帰り、脚の疲れをお風呂で癒し、長野での体験を最高の思い出に昇華するだけだった。
だけのはずだった。
東京に帰った翌日、私はまた松本へ舞い戻ることとなる。登山である。行きの電車で私はどんな顔をしていただろう。中央本線でモアイ像が屹立していたというニュースは聞かないので、どうやら最低限人間としての表情は保てていたらしい。
今回登るルートは日本5位の高さを誇る槍ヶ岳……含む北アルプスの山々を大迫力で眺めながら稜線を歩いていく「パノラマ銀座」である。槍ヶ岳にのぼらない、とはいえ登る時間は長く、1日で9時間以上登る日もある。長野を歩き倒した筋肉痛状態で登るものではないということだけはいえよう。
じゃあなんで参加したか。
私の所属する東大登山サークル「雷鳥」はそのかわいらしい名前に反し、化け物みたいな人間がうじゃうじゃいる。同期達はそんな体力と時間がどこで捻出できるのか、月4回5回と登山に行き、山手線を徒歩で一周し、しまいにはボルダリングまでやっていた。対して私は登山としては新歓と小さい山の2回だけ。
……要するに、俺だってやってやるよという意地が変なところで出てしまったものと思われる。
今回の山行で見た植物まとめ
一応植物を専門にしているものとして。
一日目 (中房温泉ー燕岳)
1日目は中房温泉登山口―燕山荘、加えて燕山アタックの1315m UPである。
6時10分、深夜バスー穂高駅からのバスと乗り継いできた同期を出迎え、我々は出発した。表銀座(槍ヶ岳登頂)でも使う深夜バスだろうが、なかなか寝心地は悪かったようだ。あまり睡眠が取れていないと言っていた。序盤から流石にきつい登りだが、燕山荘までの登山客が多いためか、ベンチが30分間隔程度で整備されており、快適に進むことができた。登っている間はみな無言であったが、ある一つの目的で通じ合っていた。―――――「合戦小屋名物のスイカを食べる」
9時5分、合戦小屋につき、我々は値段の高さ(¥600)に渋る無意味な抵抗を見せつつも、結局は全員スイカを食べる卓に並んだ。しかし天下の大学生、どんなに疲れていてもインスタ映えを忘れず、各々がスイカとの記念写真を撮った。たとえそれがスーパーの商品によくついている「私が作りました」的写真になったとしても。全員が無事スイカ農家への就業を済ませたのち、ようやくスイカにかぶりつく。しゃく、、、甘っ。水分を失った体には、スイカが天の食べ物のように思えた。こりゃ売れますわ。
スイカを食べると辺りは霧に包まれ、一気に体が冷えるのを感じた。もはや標高は2000mを超え、我々は「高山」にいるのだ。
10時27分、燕山荘着。だいぶ早い到着で、テントの場所は選び放題だった。テントを設営し、すこし休憩する。霧はやや晴れこそはしたが、北アルプスの稜線は雲に覆われている。燕岳に登頂するまでになんとかなるか、そんな一抹の願いを込め、我々は燕岳アタックを決行した。
地獄への道は善意で舗装されているというが、天国への道は何で舗装されているのだろうか。できれば、ここ燕岳のように、高山植物だとうれしい。霧と白砂、突き出した岩だけでできた白い世界に、まるでこの世のものではないかのように紫色のコマクサが映えている。「アルプスの女王」に生える「高山植物の女王」である。美しい登山道に見惚れながら燕岳山頂に到達する。二十分ほど粘りガスは消えたが、肝心の槍ヶ岳の穂先がやはり雲に隠れて見えない。仕方ない、一旦テントに戻ろう。
午後一時半、我々は燕山荘に戻った。といっても手持ち無沙汰で何もすることがない。先輩は果敢に昼寝を決行。行動食に和菓子しか持ってきていなかった同期は燕山荘の別館カフェにて、ケーキ&コーヒーセット(¥1000)に心を奪われていた。
午後3時、我々は夜ご飯の「餅シチュー」に舌鼓を打った。調理は毎朝夕食ごとに担当者が違うのだが、今回の担当者は天才すぎた。具材は豊富でとりわけ「皆様のお墨付き」ウィンナーを4袋も持ってきてくれたことが最高すぎた。それでも時間はまだあまりあるほどで、暇を持て余したパーティーメンバーは一人、また一人、自然とキャンプサイト中央の小高い丘へ集まっていった。ゆったり流れる時間のなか、先輩が周囲360度のパノラマをひとつひとつ丁寧に指さし、名前を解説していった。そんな先輩も、一年生も、みんなで槍を眺めていた。日が傾いていく。寒さが半袖の限界を迎えた午後5時ごろ、ついに槍ヶ岳が穂先を現した。すげー、ほんとに「槍」なんだー。美しー。なだらかな弧を描く緑の山際に、ひゅっと突き出た「槍」。
我々はこの3日間、つねにこの槍を眺め、近づき、遠ざかり、鼓舞され、共に進んでいくこととなる。
二日目 (燕山荘ー常念小屋)
午前2時半。アラームで目が覚めた。当然、外は暗い。都会の暗さではなく、文字通りの暗黒である。
日頃10時起きの私からするとまだ日も出ていないような時間に気だるさなく起きれたのはノーベル賞級の快挙なのだが、喜ぶひまもなく、先輩たちはもくもくとテントのペグを抜いている。
テントの外に出ると、寒い。
標高が高いのに加えて、燕山荘は尾根上にあるため、冷たい風が吹き付け、想像を絶する寒さになっていた。
夜中じゅう霧に包まれていたせいでテントは水を吸っており、畳むのも一苦労である。濡れた手の冷たさにひーひーいいながら、テントを袋に詰め、ザックを背負って炊事場へ向かう。
朝食は、棒ラーメン。あまりに風が強いので、バーナーの火が弱まってしまい、熱湯が沸かしにくい様子。私はしょうがないのでそこらへんをぶらぶらすることにした。
燕山荘には大きなログハウス調の建物があり、宿泊できるようになっている。学生はテントで、お金のある人や家族連れはそっちに泊まるというわけだ。建物の中はヒーターがあるようで、中にいる人たちはぽかぽかのにこにこであった。思わぬところで社会格差を学んでしまった。ハクション。
湯が沸くと、棒ラーメン、ねぎ、もろもろが放り入れられ、あっという間にラーメンが出来てしまった。飲んですぐ、体中に熱が伝わる。ありきたりなことを言って恐縮だが、山で食う飯は地上の百倍うまいのである。
さて、二日目はずっと稜線(尾根)である。
稜線といえばずっと真っ直ぐで上り下りが激しくない、ゆえに歩きやすいことに定評があるが、パノ銀の場合そうはいかない。
まず、道が岩場であるということ。道が岩だと、どの岩を踏めば安全か判断せねばならず頭を消耗し、しかも踏んだ時の衝撃を吸収してくれないので脚を消耗する。このダブルパンチで歩きにくいことこの上ないのである、
さらに、純粋にアップダウンが激しいこと。稜線沿いとはいえ大天井岳、横通岳の二つの山を通過する。なかでも大天井岳はパノラマ銀座の中で最も標高の高い2922m。よってラクダのこぶのようなルートとなるのだ。
大天井岳の山頂では1時間ほど滞在した。みんな体力的に消耗していたのもあるが、槍ヶ岳があまりにも壮麗に見えたからであろう。私はここに雷鳥が一年に4回も槍ヶ岳に登る槍ヶ岳大好きサークル、通称「槍サー」であるところの真髄を見た。
身体をなんとか引きはがし、また不動の高波にゆられる。アップ。ダウン。あっぷっぷ。横通岳(よことおしだけ)を文字通り「横通るだけ」に留め、ハイマツと岩だけで構成された世界をひたすら歩く。途中で霧が出てきて、もはや自分がどこを歩いているのかの感覚もなくなっていった。ひょっとしたら、地下深くの大穴を歩いているのかもしれない。そう思ったほどだ。
そんな私たちを出迎えてくれたのは、雷鳥であった。雷鳥を名に冠するサークルだが、出会うのは稀らしく、先輩たちは疲れが吹き飛んだかのように写真撮影にご執心であった。ようやるわ。
先輩によれば、雷鳥は霧とともに現れやすいということである。
……確定演出が存在するとは。自分のキャラ的立ち位置もしっかり理解している。まさに生まれながらのSSRである。
高度が下がり、急に緑あふれる針葉樹林となる。霧立ち込める森林の細い道をたどっていくと、急に視界が開けた。霧で遠くは見えないが、ものすごく広い平地である。奥に進んでいくと急に電波塔が立ちあらわれ、私たちは勝利を確信した。
7時間以上に上る山行を終え、本日のキャンプサイト「常念小屋」に到着した。
ここまで登ると、トイレも課金制(一回100円)になる。そうはいっても、登山中は秘められた生存本能が覚醒し消化効率が爆増するのか、トイレの頻度も低くなるので、大した影響はなかった。
例によって夕食の時間よりだいぶ早く着いたので、付近を散策する。今日ぐらいは、自らをねぎらうために、小屋の中でゆっくりしようと決めていた。私たちは同期3人で小屋に入り、長野名物「おやき」を注文する。
おやきを食べながら、同期同士で話をする。思えば、私たちはこの山行で初対面であり、山行中にお互いについて話すこともあまりなかった。お喋りしてる場合でもなかったし。それなのになんだかお互いの腹のうちがすべてわかりあっているように感じがして、不思議である。
三日目 (常念岳ー三股)
最終日にして最難関。二日目並みにアップダウンが激しい上、コースタイムも9時間と長く、さらに一気に1500mダウンしなくてはならない。人にもよるが、私は上りより下りの方がきついと思う。疲れの問題ではない。下りは衝撃をすべて膝で受け止めなくてはいけない分、簡単には消えない痛みを伴うのである。
テントを畳むのも手慣れたものだ。雲の上で見る最後の天の川を目に焼き付けて、まだ日も出ていないうちに、一行は進み始める。
最初の目標は常念岳。真っ暗闇の中、どこに足場があるかも覚束ない岩山を、ヘッドランプ一つで乗り越える。足が滑って岩が下に転がってしまわないよう、細心の注意を払わねばならない。この暗さでは自分が山のどのあたりにいるかもわからないので、本当に山頂までたどり着けるのか、不安だけが去来する。
そうして心と体が限界に達したとき、常念岳の頂は姿を現す。
風が強く吹いている。箱根駅伝なんかより、ずっと強く。
疲れ切って動けないはずの脚が、全回復していく。
この脚なら何だってできるような気がした。
残り二つのピークポイントを越えることなんて余裕だと。
驕 り で あ っ た 。
大自然は私たちの思いつきの自負などいとも簡単に打ち砕く。
「蝶槍」までのアップは、未だ見たこともない急斜面だった。
あるいは、森林帯に入って道が窮屈になったことがそう思わせるのだろうか。
やっとのことで蝶槍の頂にたった私たちを待っていたのは、視界いっぱいに広がる絶景だった。右手に北アルプス、左手に雲海。雲海は堰を切ったかのように稜線を越え谷に流れ込んでいく。その壮大さに私たちは思わず固唾をのんだ。
「蝶槍」から「蝶ヶ岳」までの道はいってしまえばボーナスステージだ。なだらかな道に、壮大な景色。一応登ってはいるはずなのだが、むしろ体力が回復していく程度には、私たちはこの3日間で人間をやめてしまったようである。
難なく蝶ヶ岳に到着。その名の通り蝶(ベニヒカゲ)が多く、しかも私にだけやたら蝶が止まる。しかし私は知っている。これは「心が清いから」といったファンタジーな理由ではなく、カラダ(の塩分)目当てであるということを。帰ったら入念に体を洗うことをひそかに決意した。
蝶ヶ岳から下山を始めると、上りの人々とすれ違う。おばちゃん軍団も、ムキムキの熟練おじさんも、全員息を切らしているのを見ると、相当急こう配であることがうかがえよう。
そこから先は「無」であった。脳の計算メモリをただ膝を労わって歩くことだけに使う。ピンク色非ピンク色の境なく妄想一切なし。それだけ長く、苦しいダウンだった。
途中、山道沿いの木に登り、こちらを見つめているニホンザルと出会った。ニホンザルといえど油断は禁物だ。引っかかれたら只事ではすまない。私は先方の気迫に負けじと睨み返した。すると先方はどうぞどうぞとでも言うように手招きし、実際に私が横を通っても手を出してくることはなかった。初めて猿と心を通わせた瞬間であった。
無事下山した私たちは、蝶ヶ岳ヒュッテの売店から久々の下界価格でコーラを買い、乾杯した。
この三日間、何度も極限状態を体験した。それなのに、我々は互いに悪い感情を一つも持ち合わせていない。それならば合理的な帰結として、私たちはいい友達になれるのだろう。
こうして、2024年夏、私のパノラマ銀座は幕を閉じた。
もう長野行きません。