映画『37セカンズ』感想
予告編
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PG-12指定
本作の主演を務めた佳山明さん。本日10月14日は、佳山明さんの誕生日なんだそうです。今日、この映画の感想文を投稿したのは、そんな理由から。
とても素晴らしい映画でした。よければ読んでくださいー。
「私でよかった」
まぁ……、たとえば食事するにしても巷(SNS)の評判を頼りにしている今のご時世ですから、前情報まったく無しで観る人はなかなか稀有な存在だとは思いますが、仮に居たとするならその人は、本作冒頭のシーンをどんな表情で観ていたことでしょうか。本作の主人公は脳性麻痺を抱えた少女・貴田ユマ(佳山明)。軽々しく、或いは逆に仰々しく扱おうものなら不快感しか滲み出てこない類のテーマで尚且つ、文字通り “さらけ出した” このシーンは、安易な感動ポルノではないことを観客に理解させる意図というよりは、作り手の覚悟を表していたシーンなのかもしれません。覚悟も無しにこんなシーンは撮れやしないはず。観客の気を引き締め直してくれます。
そんな出だしの本作はストーリーそのものの濃さにばかり目が引かれてしまいがちですが、随所で細かい演出が光る良作。一つの画角に収めながらも、たった一枚の壁を挟むことで登場人物同士の関係性というか心の距離感を表していたりするのも上手いのですが、これ見よがしに登場人物同士を画面内で分断していたそのシーンが印象的だったために、曖昧な分断が描かれたシーンの時に「あれ……、これはどっちなんだ?」と僕を戸惑わす。
ユマに手を差し伸べてくれる救世主的存在のマイ(渡辺真起子)とは違い、登場してしばらくの間は人柄が窺い知れなかったトシ(大東駿介)とユマの二者間におけるシーンだったから、余計にシビれました。心は開いているけど気は使っている、という。
「心の壁」と呼ぶ程の壁ではないものの、全く無いと問われればそうではない微妙な感じがひしひしと伝わってきます。もしこれが勘違いなのであれば、それはトシではなく観ている者(つまりその瞬間の僕)が、障がい者とどう向き合っているのかを暗に示していたのかもしれません。未だにアンタッチャブルな認識でいるのか、と説教されたような感覚にも近い。ここまで来ると憶測でしかないんですけどね。
そんなことをアレコレ考えさせられるくらい、本作では前出のシーンが特別に機能して後出のシーンに影響を及ぼすような表現がいっぱいありました。シーンひとつひとつの繋がりが見えてくることでそれぞれが呼応し合う感じは本当に素敵。ユマが母親(神野三鈴)に電話をかけるシーンなんか特に。話し手のカットは別れていても二人の目線が向かい合っているように見えるから、電話越しながらもその会話の重みや価値が印象的になる(たしか去年公開の映画『劇場版ファイナルファンタジー XIV』感想文でも似たようなこと書いたような気が……まぁいいや)。その後のシーンで二人が同じカットに映った際、電話のシーンと同じ目線で向き合って収められているのもまた印象的です。
反復という点で言えば、ユマがトシと二人で居る時に車窓から外を眺めているシーンが特に素晴らしい。マジで見どころだと思います。
序盤、トシの運転で車に乗るユマが外を眺めている時は、窓が閉じられ、ガラスにはユマの顔が反射していた。その瞬間の彼女の表情以上に、彼女の心のベクトルが内側(=彼女自身)に向いていることを窺わせてくれるシーン。
一方、終盤のシーンで、トシと二人で電車に乗りながら外を眺めている時は窓が開いている。前出の車のシーンと同じ画角・構図で反復させることで、今のユマは心のベクトルが外側に向いているんだ、と気付かせてくれる。その瞬間の彼女の柔和な笑顔も相俟って、この瞬間の彼女の心の在り様が明るいものであることが感じられる上、車でのシーンとは違ってトシとユマが向き合って座っていることも、このシーンをより美しく味付けしてくれる要素なのかもしれません。ここまでのシーンで何度も登場人物たちの心の目線を匂わせながら描いてきた本作ならではの魅力。
そしてその後に流れる「私でよかった」という彼女の台詞も凄く良い! 「私以外が不幸な境遇じゃなくて良かった」というネガティブなものではなく、彼女の人生を強く肯定できるようなポジティブな言葉として捉えられます。そしてそれを証明してくれるかのような展開が描かれる、直後のエンディングも素敵。
(そろそろ本項の締め括りに入りますが、若干ネタバレ……いや、ネタバレってわけじゃないのですが、なんとなく本作の展開を予想出来てしまいかねない話が混ざってくるので、ご注意ください。)
本作の挿入歌がCHAIっていうガールズバンドの「N.E.O.」って曲なんです。まぁ僕の場合、TVでヒャダインさんがお勧めしていたのを偶然見て知っていただけなんですけど……笑。でも知っていて良かった。「ネオかわいい」という聞き慣れないワードを連呼するこの楽曲は、世間一般に溢れている「かわいい」という偏見にも似た決めつけの線引き・枠組みに縛られず、皆それぞれがかわいい、かわいいは一つじゃないんだと教えてくれる素敵な曲。ガールズバンドの売れる方程式を崩した4人組だとか、コードを動かす気が無いBm(ビーマイナー)のみの構成だとか(もちろん、これら全てヒャダインさんの発言の受け売りです)、こういった要素だけでも作品の応援歌になっている気もしますが、CHAIというバンドの特性——ボーカルの個性——と物語がリンクしているのも面白い隠し味だと思います。
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