映画『幼い依頼人』感想
予告編
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”いいひと”
映画の冒頭、法律事務所の採用面接で、とある殺人事件についての質問が出てくる——「被害者が助けを求めたにも関わらず、周囲の人々は誰一人として助けようとしなかった」というもの——。
この事件について ”周囲の人々に罪はあるのか” という質問。他の面接者全員が有罪を主張する中、主人公ジョンヨプ(イ・ドンフィ)だけが無罪を唱える。被害者を助けるために犯人を止めようとしても、逆に自分が殺されてしまう可能性、その恐怖があったから、という理由であり、傍観していたからといって “法的に問題は無い” と。
……個人的な意見だけど、あくまでもこの導入部分は、無意識に引き起こされる〈傍観者効果〉を意識させるためのもので、本作で描かれる事件、ないしは現実社会で起きている問題と、何から何まで同様に考えて良いものではないかな、と思います。
ただ日本人というのは傍観者効果が強く出る民族な気がしていて(←これこそ超個人的な意見ですが)、現実のニュースを見ていればわかるように本作で描かれる事件は決して他人事ではない、とても身近な話。本作は〈傍観者効果〉という人間の不完全さ以上に、それを誘発する法律の不完全さを浮き彫りにし、且つ、その不完全さを埋められるのは “いい人” だけであるということを教えてくれる気がします。
本作は、実際にあった児童虐待死亡事件を基にした物語。映画のラストにテロップで語られていたのは、児童虐待件数が上昇傾向にあることと、加害者のおよそ8割が実の父母によるものであること。事件の数については通報などで発覚する機会が増えただけで、実態としては昔から変わってないんじゃないか、という気持ちも正直ある。助けようにも法律上の限界あったり、己が可愛さ故に踏み入れられなかったり……。日本でも同じ現実があると感じます。
この映画の見事でありながらも残酷な所は、虐待シーンの描き方。殴る蹴るといった暴行による「うわぁ酷い」「かわいそう」という他者的目線だけではなく、虐待を受ける子供の心情の表現までが秀逸。例えば髪を結わく、真顔を挟むといった、セリフを用いらないスイッチ——「はい、ここから虐待が始まります」というアクションを明確に示すことで、虐待の記憶がフラッシュバックし、一気に緊張と恐怖が走る子供の心情を観客に伝えているように感じるし、何だったら最初の虐待描写については、暴行そのものを映すことなく表現しています。
あと、部屋も怖い。暗い、窓がほぼ無いという閉塞感は、見ているだけで辛くなってくる。たまに窓が見えても母親が立ち塞がっていたり、柵があったりする。一つ一つが悲しいぐらいに上手い。
事件の解決に挑む主人公が、完璧なヒーローっぽくないってのも凄く好感が持てるんです。自分を「いい人じゃない」と言ってはいたけど、子供に「いい人」と言われ、その言葉に自問したり「いい人」という期待に苦しみ、もがく様を見ていると、「そういうところが “いい人” なんだよ」と言いたくなってしまう。
何より、自分を「いい人じゃない」と白状し、その上で「助けたい」と行動する正直な姿勢がまた良い。冒頭では「傍観者に罪は無い」と薄情そうな顔をしていた男が一番罪悪感を抱いているのも効果的だったんじゃないかな。何もできない人達それ自体を否定しないようなこの人物像のおかげで、内容の割に説教臭さが無いのもまた良い。
序盤、紙ひこうきを飛ばして遊ぶ少年ミンジュンが描かれる。実はこの場面では、紙ひこうきを上手いこと飛ばすことが出来ておらず、上空に上がっていくようなことはなかった。それでも嬉しそうにはしゃいでるので、本人としてはとても楽しんでいたみたい。姉のダビンに話す様子から察するに、たぶん “紙ひこうきを100回飛ばすとお願い事が叶う” みたいなおまじないでもあるのかな?
そしてラストシーン。再び紙ひこうきが描かれるんだけど、ここでようやく紙ひこうきが空高く飛んでいく。CG描写ではあるものの、物語の結末と紙ひこうきの行く先が噛み合ったように感じられた素晴らしいラスト。物語としては暗い部分がかなり多かったものの、なんとなく『フォレスト・ガンプ』のオープニングシーンっぽくも感じられて、とても前向きな気持ちにさせてくれる締め括り。誰でも「自分はまだ何もできない小さな人間だけど、何かできることがあるんじゃないか、“いい人” になれるんじゃないか」とさえ思わせてくれるようだ。
加害者に対する強烈な嫌悪感ばかりが目立つものの、主人公の周囲に居た “いい人” たちの存在も印象的だった本作。家族以外の社会が構築しづらい年齢の子供たちの世界において、実は身近な人達が助けになるかもしれないことと、そして逆説的に身近なところに隠れている ”見えない悲鳴” があるかもしれないという警鐘を鳴らすような圧巻の一本でした。
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