映画『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー VOLUME3』感想
予告編
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ありのままの自分
白状すると、去年あたりから “MCU疲れ” というやつになっている……。まぁネット上で見つけた言葉の受け売りなのですが、コンテンツが増えてきたことで、ついていけなくなってきたんです。元々、アメコミ事情には詳しくなく、MCUで言えば一作目の『アイアンマン』などを観ていた時は、純粋に単体作品として楽しんでいました。それがいつの頃からか、マーベルという大きなユニバースが存在していることを知り、今まで観てきたマーベル作品を改めて観直したりして……。そして4~5年程前からは、公開前に専門サイトやYouTUBEの解説動画などで元ネタのキャラクターや設定などの予習もするようになって……。
しかしながら、ディズニー+でドラマシリーズがグンと増えたあたりからなのでしょうか……、もしくは『アベンジャーズ/エンドゲーム』(感想文リンク)や『スパイダーマン:ノー・ウェイ・ホーム』(感想文リンク)などの大作を観終えたことで燃え尽き症候群のようになってしまったからなのでしょうか……。いや単純に、作品の多さに追いつけなくなってきて、次第に「中途半端な状態で観るのはもったいない」あるいは「ちゃんと観ないのは損だ」だなんて思うようになってしまったからなのかな? それまでは鑑賞前にちゃんと予習をして、さらには観終わった後にも詳しい方々による小ネタ・トリビア情報なども見漁っていたんです。そうすることで知り得た・気付けたことが作品を何段階も面白く感じさせてくれていた。
……その記憶が、無意識のうちに僕を変えてしまったのかもしれません。「もっと知りたい」という純粋な気持ちから「もっと知らなきゃ」という強迫観念へと変わってしまった。先述の『アベンジャーズ/エンドゲーム』も『スパイダーマンNWH』も、最速上映を鑑賞しに行くくらいワクワクしていたはずだったのに、今では「まぁ近いうちに観に行ければいいか」になってしまいました……。MCUと比べてユニバースの繋がりがユル目な印象があるDC映画は未だに気軽に観に行けるんですけどね。
とまぁ、冒頭からいきなり落ち込んでしまうような話をしてしまいましたが、この『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー』シリーズには、上記のようなMCU疲れを感じづらい!ということが述べたかったのです笑。詳しい方々に言わせれば間違っているかもしれませんが、MCUの中でもどこか独立したような雰囲気を感じています。また、同じくMCUの『エターナルズ』もスケールが大きな話ではありますが、本シリーズは地球の話を飛び出して広い宇宙の……なんだったら最早、別世界のスペースオペラ感さえ窺い知れ、そういうところも大好きなポイントです。
そんなシリーズ特有の世界観が、本作でもしっかり楽しめました。宇宙船内やアジト内など、ガチャガチャした見た目だけでも相変わらず非常に楽しい。舞台の奥行きとか、宇宙ならではの無重力感とか広がりのある感じが、MCUの中でも最も、3D上映やIMAX上映との相性が良い気がします。
一作目も二作目も素敵でしたが、本作もまた素晴らしかったです。特に印象に残っているのは、ヴィランであるハイ・エボリューショナリー(チュク・イウジ)に対しての「完璧じゃない、ありのままを否定している」という指摘。完璧な世界を求めるヴィランに対するこの言葉が、同時にガーディアンズのメンバーにも刺さっています。そして全編を通して描かれているこのテーマに着目しながら観ることで、エモーショナルなシーンでの感動が一層跳ね上がる。元来、ユーモアやコメディ的要素の印象が強かったガーディアンズだからこその振り幅もあるのかな? 非常に優しく、温かい気持ちで劇場を後にすることができました。
愛するガモーラ(ゾーイ・サルダナ)を失い、その影を別次元のガモーラに求めるクイル(クリス・プラット)の姿も、ある種 “ありのままを否定” する行為のように見受けられます。シリーズ一作目で、手を握れなかった、逃げ出してしまった……そうやって母の死を受け入れられないかのような描写があったことも、或いは二作目で父親と対峙することになってしまったことも、見ようによっては、自身のアイデンティティや現実という “ありのままを否定” していた展開にも思えてきます。故郷である地球のことや祖父のこと等々、本作はそんな諸々をひっくるめて素晴らしい着地を見せてくれたと思います。
(余談ですが、シリーズ二作目の邦題が『リミックス』になっていたのも、同様に捉えられないこともない気がして、少し面白く思えます。もしかして、本作で改めて原題通りに『VOLUME3』と銘打つことで、前作の“ありのままを否定”するかのような邦題という伏線を回収していたのかな?笑)
クイルにとって、自身の知るガモーラではない、別のガモーラであるという事実は、一人の人間の中にも色んな側面があるということを印象付けてくれます。一つの側面だけで人は図れない。これは、劇中でマンティス(ポム・クレメンティエフ)が口にした「知性や能力が全てじゃない」というセリフとも相通じる部分があるんじゃないかな? 自己肯定も大切なことだけど、他者を認めないことで自己を肯定しようとするのは正しくない。それこそハイ・エボリューショナリーのような優生思想を生み出しかねない。
これまた余談ですが、そんな傲慢で驕った姿のハイ・エボリューショナリーの姿からは「自己肯定を求めるあまりに承認欲求が肥大化することも違うのだな」とも思わされました。承認欲求が肥大化するあまり、自分を誇大に見せかける主張は、本来の自分自身という “ありのままの否定” なのだと。
そして、本作において語らずにはいられないのが、やっぱりみんな大好きロケット([声]ブラッドリー・クーパー)。彼もまた、ありとあらゆる形で自分のありのままを否定し続けてきたのかもしれません。過去を受け入れられない、というよりは清算できないままでいる。けれど、その辛い記憶やトラウマを乗り越える、現実を受け入れ前に進む姿がめちゃくちゃ良い。だからこそのカタルシスに、もう涙腺やばば…。また、仲間の死を受け止めきれずにいるかのような姿は、母の死を受け入れられなかったクイルとの対比のようにも見え、シリーズの主人公と同様のドラマが描かれていることがより如実に伝わってくる気がします。それは、過去のMCU作品でもうっすらと匂わされていた “ロケットにフォーカスが当たるんじゃないか” という期待に見事に応えてくれたよう。実際、最後には新たな船長になっているしね。遂に自身を “アライグマ” と称した瞬間も最高にアガりました。
相変わらずのユーモアや音楽センスも素敵だった本作。仲間や家族も大切だけど、個の尊重も重要なことも同時に示してくれたラストも素晴らしかったです。いやホント、色々あったけどジェームズ・ガン監督続投で良かった。そういえば、長々と“自己肯定”がどーのこーのと、“ありのままの自分” について述べて来たけど、グルート([声]ビン・ディーゼル)の「アイ・アム・グルート」ってセリフって、何よりの自己肯定の言葉ですよね。そう思うと、また改めて『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー』シリーズを観直したくなります。
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