見出し画像

映画『フライ・ミー・トゥ・ザ・ムーン』感想

予告編
 ↓


リアルか フェイクか


 誰もが一度は聞いたことがあるんじゃなかろうか。人類初の月面着陸という偉業を成し遂げたアポロ11号についての “ある噂”、もはや都市伝説——月面に降り立ったあの瞬間の映像が、実はフェイクだった?!——

 ……まぁ、その真偽の程は定かではありませんし、この場では述べません。本作は、そんなまことしやかに噂され続けた都市伝説をヒントに制作された映画


 ソ連との宇宙開発競争が激化していた1969年。宇宙開発においてソ連から遅れをとっていた中でのアポロ計画。アメリカの宇宙開発の、その凄まじさ、延いては科学力、国力を世界に示すため、月面着陸の模様を衛星放送することになる。がしかし、 様々なリスクや可能性を考え、万が一のため予備の映像を用意することに……というのが大まかな導入。
 秘密裏に進められる山あり谷ありのミッション、困難や試練をチームで乗り越えようとする展開、仲間の想いを背負うetc.見どころや魅力がふんだんに詰まっていた作品です。

 そんな本作ですが、劇中、ケリー(スカーレット・ヨハンソン)が口にしたセリフがとても印象的——「何と言われようと真実は真実だし、どれだけ信じていようともウソはウソ」——。その場、そのシーンにおいての出来事のみに限らず、多くの事柄においても当てはまる言葉。撮影用に造られた、月面を模した屋内セットを指す「まるで(本物の)月みたいだ」というセリフとも、暗に呼応しているように感じられ、とても面白い。この二つのセリフは、まさに本作を象徴するものなんじゃないかな。アポロ計画に携わった方々へのリスペクトを欠いたような本件の都市伝説、それ自体を一蹴してくれる言葉でありつつ、〈フェイク〉も〈リアル〉も一緒くたになってしまっている現代社会に対してのアンサーにも聞こえます。SNSやらネット記事やら(それらすべてが、とまでは申しませんけど)上辺の情報だけで毀誉褒貶飛び交う世間に対し、毅然とした態度を示してくれているよう。 


 少し話が逸れましたが、監督や撮影スタッフ、俳優を用意してまでフェイクの月面着陸シーンを撮影するという内容も相俟って(或いは、そんな物語を映画館で鑑賞しているという状況も含めて)なのか、以上までに述べた事が、まるで映画作りそのものと同義にも思えてきて不思議。月面着陸の映像を捏造するのも、作り話として “話を脚色する” のも同様。ある種の嘘、もといフェイク。なんとなく、映画内映画というか劇中劇を観ているような感覚になり、これもまた面白かったです。

 そんなことを考えながら観てしまっていたためか、僕は本作の様々な〈嘘〉が目に付いてしまったんです。例えば、ヘンリー(レイ・ロマノ)が心臓疾患の件を隠していたこと、あとはコール(チャニング・テイタム)の行動について「庭の手入れだ」とケリーに誤魔化していたことも、嘘っちゃ嘘なのかな?(ヘンリーが隠れて喫煙を続けていたのは紛れもなく〈嘘〉ってやつだと思いますけど笑。)

 まぁ、事の良し悪しはさておき、ここで挙げた〈嘘〉の一つ一つは、あくまでも対象へのリスペクトや礼儀、時には「心配かけまい」とする優しさや配慮といった思い遣りが故のもの。この物語の中には、あまり褒められたモンじゃない〈嘘〉もあったし、「嘘も方便」みたいなシーンもあった。良い嘘、悪い嘘など、嘘の是非を問うのは案外難しいものだと改めて気付かされましたが、何よりも“そこに真実や誠意といった〈リアル〉があるか否か”が重要なのだと思わされたのが本作。

 ラストカットなんて特にそう。とても象徴的な瞬間。「偽物の月面上」という〈フェイク〉の空間に居ながらも、そのシーンのど真ん中に据えられていたもの、その気持ちや心情だけは間違いなく真実である、〈リアル〉であるのだと教えてくれるシーン。紛い物に囲まれているからこそ、その中にある〈リアル〉の紛れも無さ、真実性が浮き彫りになってくる。それを中心に据えたままどんどんとアングルが遠くなっていって……。いやぁ、素敵な大団円ですこと。



 本作の中にあるいくつもの“フェイクの中にあるリアル”というものが、作り手の想いやドラマ、メッセージといったものを伝え届けるために、様々な形で脚色される“映画製作”ととても似ている気がしてしまったんです。繰り返しになりますが、大切なのは “そこに〈リアル〉な想いがあるか否か”。中身が無い、実が無い、芯が通っていないのは、ただのハリボテ。……“こじつけ” かな? まぁご容赦ください笑。

 映画はあくまで作り物。つまるところ、ただのフェイク。けれどそんな映画というフェイクに感動したり胸動かされたりしてしまうのは、きっと以上のようなことと相通じるものがあるからなのかもしれません。劇中劇に見えるという錯覚のせいで、まるで『蒲田行進曲』や『カイロの紫のバラ』等々、“映画を題材にした映画” を観た時にも感じた不思議な気持ちと似ているなぁ、なんて思えちゃって……。これは本当に、“超” が付くほど個人的な錯覚。あまりにも参考にならない感想文w。



 都市伝説をヒントにして真偽不明の与太話をユーモアに描いた本作ですから、一見すると「月面着陸」がテーマのようにも見えるはず(いやまぁ、「はず」というか、実際にそうなんでしょうけど)。
 でも、だからこそ、「月面着陸」だなんて途方もない話ではなく、とても身近にある、とても愛おしい想いが最期の最後に描かれるという着地に、心を奪われてしまったのかもしれません。
 


 今思えば、タイトルの『Fly Me To The Moon』という言葉も、(まぁ〈嘘〉とするのは言い過ぎになっちゃうけど)ほんの少しばかり正確性に欠けている。でも、画面越しとはいえ世の人々を月面へと連れて行ってくれたのだから、「Me」の捉え方次第では……。いや或いは、ラストシーンのケリーについて、“月面の重力下にあるかのように気持ちが浮いていた” と解釈すれば……などなど、クサイ考えが止まりませんが笑、いずれにしても、これもまた一つの “良い嘘” だったのかな?笑。


#映画 #映画感想 #映画レビュー #映画感想文 #コンテンツ会議 #フライ・ミー・トゥ・ザ・ムーン #アポロ11号

いいなと思ったら応援しよう!