映画『フェラーリ』感想
予告編
↓
PG-12指定
サイン
どこの劇場だったかな? 本作の予告ティザーを初めて見た時は興奮したのを覚えています。家に帰ってからYouTUBEでもう一度その映像を見直して、そしたらコメント欄にも
「『フォードvsフェラーリ』面白かったから、これも楽しみー」
「マイケル・マンが監督!『フォードvsフェラーリ』好きだったから絶対見に行く!」
等々……。
自分と同じ考えの方が多くいらっしゃいました笑。
数年前に日本でも公開された映画『フォードvsフェラーリ』(感想文リンク。以下『FvF』)において制作総指揮を務め、当初はその監督も担う予定だった巨匠マイケル・マン。そんな彼が、イタリアの自動車メーカー・フェラーリの創設者であるエンツォ・フェラーリの人生を描く映画の監督だというのだから、この反応は当然っちゃ当然。
けれど、実のところ本作はだいぶ毛色が異なる。主にレーサー視点だった『FvF』とは打って変わって、企業のトップでありエンジニアでもあるエンツォ(アダム・ドライバー)自身の視点で描かれていきます。
(僕自身もそうなのですが→)スタッフの経歴や関連作品などで、ついつい紐づけして考えようとしてしまうけれど、本作を鑑賞するにあたり、決して『FvF』を観ておいた方が良いわけじゃありません。
ただ、迫力や熱量(もしくは狂気?)という点では本作も見応え充分。イタリア全土を縦断する過酷なレース「ミッレミリア」のシーンも圧巻。そのレースの結末も含め、この衝撃は実際に本作をご覧になって頂くより他には無いんじゃないかと。
本作は、フェラーリが業績不振のために破産寸前に追い込まれているところから始まる物語。同時に、エンツォ自身も家庭内で問題を抱えていた。そんな中、再起をかけて「ミッレミリア」に挑む展開になるわけなのですが、どの事態に対しても、目を背けている、あるいは課題や問題を先送りにしていたようにも見受けられました。いや、どちらかというと目を背けていたのではなく、何よりもレースのことが最優先になっていただけかもしれませんが……。
愛人のリナ(シャイリーン・ウッドリー)との間に息子・ピエロを授かり、二重生活を続けていたことが妻・ラウラ(ペネロペ・クルス)にバレたエンツォ。リナからは、12歳になるピエロをエンツォの子供として認知して欲しいと求められるも、何かと理由を付けて断り続ける。
業績不振、そして競合他社からの買収危機に陥った際も、レースでの勝利によって再起を図ることで結論を先延ばしにする。
また、ラウラとの話し合いの末に50万ドルの小切手で解決しようとするも、すぐには現金化しないことを条件として提示する……。
様々なことを二の次、後回しにしてでもレースの結果を求める姿は、たしかにエンツォの情熱や狂気を窺わせてはくれる。しかし、映画全体の雰囲気もあってか、何かと先送りにする姿勢のその全てが不穏な事この上ない。
特に後半、ミッレミリアでのシーン。上位入賞をほぼ手中に収めた中、レースで酷使されたタイヤへの懸念から「もう無難に走って完走を目指した方が良いんじゃないか」という旨のアドバイスをされるも、受け入れることなくレースを再開させるエンツォ。それまでの「そんな気がする」程度だった不穏さが、個人的にはより一層色濃くなった瞬間でした。
「ミッレミリア」にてエンツォのチームのドライバーとして参加するデ・ポルターゴ(ガブリエル・レオーネ)の存在もとても重要だったと思います。序盤のシーンで、声を掛けてきたデ・ポルターゴを無視するエンツォの姿が描かれ、これもまた、向き合っていないことを予期させるようでもありますが、それ以上に印象的だったのがデ・ポルターゴのサインの件。
ピエロからデ・ポルターゴのサインをねだられるも、なかなかサインを貰ってこないエンツォ。エンツォの息子として認知されずに悩んでいるピエロの想いとは裏腹に、エンツォ自身は一向に息子として認知しようとはしてくれない状況のメタファーかのようです。
そう考えると、最期の最後になってサインを貰って来たことは、それまで先延ばしに、後回しにしてきたことに対して、エンツォが向き合い始めたことを象徴していたようにも見えてきます。伝記映画としてどこまでが事実なのかは知る由もありませんが、このサインに関しての話は大変効果的だったんじゃないかな。
また、「どこまでが事実なのか」で言えば、個人的にはラウラが口にした「長所がなくなった」というセリフも非常に意味深。課題や問題の先送り・先延ばしそのものが原因ではないにせよ、エンツォ自身のそういった姿勢や心根を批判的に捉えたかのような発言。実の息子を失っていたということもありますが、映画が始まってからずっと冷え切った関係だった相手からのセリフに、かなりの重みを感じてしまいます。
ここまで明言こそしていませんが、ネタバレに近いぐらいの文章になってしまったかも……。すみません。(一応、ネタバレタグ付けておこうかと。)
ですが、それでも実際に観ることには遠く及ばない。レースにおける音響など、凄まじい迫力とリアリティは、終盤の衝撃のシーンにも同様の迫力とリアリティをもたらしてくれる。VFXも混ざってはいますが、実際に再現されたあのシーンには圧倒されてしまいました。
改めて、『FvF』のそれとは大きく違う雰囲気の本作。ラストにテロップで「過失責任は免れた」と明記されてはいましたが、それでも尚、わざわざ映画化して描くことには、どこかフェラーリの覚悟を感じずにはいられません。責任の有無ではなく、起きた事態を、今度は目を背けることなく受け止める……。今でも世界に名高いフェラーリ、その過去を、創業者の視点で描くことで、車の作り手としてのエンツォの覚悟が窺い知れる気がしました。
本項後半になるに連れ、考察や批評というよりは勝手な推測みたいな感想になってしまいましたが、何卒ご容赦ください。