映画『翔んで埼玉 ~琵琶湖より愛をこめて~』感想
予告編
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愛とイジり
本作の基本的な特徴は、前作『翔んで埼玉』(感想文リンク)と同様。冒頭の “お断り” シーンや、過剰な表現だらけの演技と外連味たっぷりの台詞回しによって、観客に「本作で描かれていることはあくまでも “冗談” です」と理解させていること。また、延いてはそれが「あくまで冗談なんだから、いやいやまさか、これで本気で怒ったりなんかしないよね笑? ねぇ?」という卑怯な牽制になっているというのも上手い部分。
案の定、というか期待通り、地域の特色をこれでもかとデフォルメさせた世界観は、どことなく海外の方がイメージする日本像と似ている気がします。「サムライ」「ニンジャ」「スシ・テンプラ」……etc. 今や侍も忍者も居なけりゃ、刀を持ち歩いている人も居ない。寿司も天ぷらも好きだけど、毎日食っているわけじゃない。そういう風に「そんなわけない!笑」と思える事柄ではありつつも、「人によってはそういう風に思われているんだろうな笑」とも理解できてしまう、そんな感じ。それと似た感覚で、訪れたことのない他県や他地域のイメージが醸成されていく。その上で、そのイメージを目いっぱいデフォルメする。そんな世界観を、時には他人事のように、時には自虐的に受け取ることで、大いに楽しめます。
さらに、ディスやイジりの手を伸ばしたのが「地域」だけではないというのも、本作の魅力の一つ。主に地域特性ばかりをデフォルメしていた前作とは異なり、本作では出演している俳優・タレントが持っているパブリックイメージをも利用しているというのも見どころ。デフォルメしたり、それ自体をネタに変えたり、もうやりたい放題です笑。
そしてそんな大大大茶番劇を、わざわざお金を払って観に行くという事実もまた、本作を面白可笑しく思えてしまうポイントの一つ。公開開始は11月23日……。まだ上映しているかはわかりませんが、そういった理由でも劇場に観に行くことをオススメしたくなります笑。
前作評でも述べたことでもありますが、前作では “埼玉ディス” を引き合いにして、というかダシにして、それを隠れ蓑のように他県もディスっていました。でもそれはある種、同じ関東圏という枠組みの中で、長きに亘り因縁や抗争(?笑)があった御近所さんだからこそのイジり。やられてはやり返すというお約束や積み重ねの歴史があるからこそ許されたもの。それが遂に本作では、関西地方にまで手を伸ばした。しかも一方的に笑。前作では「関東圏以外の方々でも面白いと思えるのか?」という疑問がありましたが、きっと多分、大いに笑えたはず。何故なら本作の関西地方ディスのシーンを、関東の人間である僕が見ても笑えていたのですから。
様々な点において大きく誇張されてはいるものの、本シリーズは〈差別〉の物語。やっていること、描かれていることの内容はともかくとして、人間の差別意識に関して言えば、過去、人類の歴史上でも同様の事は起きていました。そんな中で、しっかりと「差別は良くない」「差別を無くそう、やめよう」という言葉がありながら、作品全体としてはその差別意識を笑いに変換しています。また、そんな本作の冒頭に“お断り”を入れることにより茶番劇の様相を呈し、観客は自然と「なんてバカバカしい笑」「くだらない笑」と、本作を嘲笑う。無論、褒め言葉としてね。しかしこの類の笑いは、差別意識にも似た笑いのようにも思えます。「差別はよくない」と謳いつつ差別を描き、そして観客に差別意識を誘発する。あまりにも見事なイジり方。
とまぁ、ここまでの文面の字面だけを目にしてしまうと、或いは批判的な見解に思われかねませんが、改めて繰り返します。全てが褒め言葉。もちろん多くの方々が理解していることだとは思います。そんな風に思えるのは、本作から滲み出ているリスペクト感。特に強く感じられたのは、最期の最後、エンドロールが流れる時。
(本編が終わった後の話なのでネタバレって訳ではないのですが……まぁ、気になるようであればご注意ください ↓ )
クレジットの途中、漫才コンビ『ミルクボーイ』のお二人の名前が流れるのですが、一瞬、「はて? ミルクボーイ出てたっけな?」と思ってしまう。すると突然、エンドロールが流れる中、ミルクボーイの漫才が始まる。あのお馴染みのフォーマットで、滋賀県のあることないことをネタにしていく……。
考えてみればエンドロールというのは、それが流れ出した途端、帰り出すお客さんがちらほら出てくるもの。ましてや「余韻を楽しむ」と呼べる類のものではない本作ですから笑、きっと普通に流していたら、普段以上にゾロゾロと帰ってしまう。しかしそこでミルクボーイの漫才が流れれば、自然と最後まで席に座って見てしまう。ネタに落とし込むことで滋賀県の特色をPRしていることもリスペクトではあるものの、それ以上に、最期までクレジットを見せるということが、作り手への敬意を示すことに繋がっていたように思えてなりません。演者だけじゃない、スタッフ、地元地域の方々へのリスペクト。クレジットに名前を載せるというのはそういうこと。
また、M-1グランプリという全国区の賞レースで名を馳せながらも、上京することなく地元での活動を中心とし、大阪市天王寺区の「住みます芸人」でもあるミルクボーイがトリを飾るというのは、より一層、地域愛、地元愛といったものを連想させてくれます。本項の前半で「俳優・タレントが持っているパブリックイメージをも利用している」と述べましたが、ここでも同様に、パブリックイメージを利用していたんじゃないかな。
……まぁ、主演のGACKTさんが危惧していたように、「とあるパクリ疑惑」のシーンについては、リスペクトではなく単なるパクリだと思いますが笑。それもまた面白いからオールオッケー。
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