映画『台風家族』感想
予告編
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PG-12指定
昨日投稿した映画『ミッドナイトスワン』感想文の中で名前を出していたので、本日は『台風家族』の感想文を投稿しますー。
ちなみに、奥秀太郎監督の映画『台風一家』とは何の関係もありません。
一応ね、念のためにね。
サイッテー…♡
お蔵入りにならなくてホントに良かったね。特に狙っていたワケじゃないですが、映画『まく子』(感想文リンク)で、今までのイメージとは違った姿を見せてくれたツヨポンが主演だって聞いていたから、気にはなっていたんです。
「作品に罪は無い」という論調に関しては否定も肯定もしませんが、新井浩文さん演じる京介が「お前ゲスだな……」と口にした時、劇場に微妙な笑い——「お前が言うんかい」みたいな空気?——が起きたような気が……笑。気のせいかな? いや、でも、うーん……。序盤から秀逸な笑いが散りばめられていたコメディだっただけに、“どっちの意味の笑い” だったのかは未だ判然としないけど、あの時の笑いに他意は無いと信じています。罪の有無はさておき、演者のパブリックイメージが登場人物の第一印象に直結することを改めて感じました(無論、メディアの不明瞭な報道しか見聞きしていないので真実はわかり兼ねますが)。本項をお読み下さる方々がそういったことと無縁であることを祈ります。
例えば蛍光灯から垂れ下がる紐を境目にして、登場人物をスクリーン上で分け、意見の相違を視覚化していたり等々、面白いシーンは幾つも見受けられましたけど、やっぱり一番は物語が一気に動き出した終盤のシーン。これ見よがしに “キメている” シーンがあるんです。んもぅ笑、間違いなくここ(或いはここから)が一番の見どころ! ピアノの音色が度々聞こえていた中、突然ギターの荒々しい音色と共にBGMのテンポが一気に加速する。そして物語の中心となる家族他の面々が一人ずつまるでポーズを決めるかのように順々に、しかもスローを織り交ぜながら嵐の中に勇んで歩み出す姿は否が応にもテンションが上がる。要するに、めっっっちゃカッコイイのです。
あらすじを少し述べてしまいますが、親の遺産相続で揉めていた主人公・鈴木小鉄(草彅剛)と兄妹たちは、それぞれが好感を持つに相応しくない面が幾つか見受けられる。金に目が眩んだそんな大人たちが何故かかっこ良く見えてくる。ここに持っていく手腕が演出力なのか、それとも脚本の力なのかはわかりませんが、ありとあらゆるシーンがベクトルを揃え、クライマックスの魅力を増幅させています。これだから映画はやめられない。
首にギプスをはめて怪我人のフリをしたり、交際相手に結婚歴を隠していたり……etc. 初め、この兄妹たちは装っていた。その中には、娘の将来の為に敢えて悪役を担っていたり、善意からの言動すらも当人の照れ臭さの為に隠していた部分もあった。それらが物語の過程で暴かれ、文字通りハリボテの諸々をかなぐり捨てるハメになる(ここでの破綻っぷり、いい歳した人間のみっともなさも面白い)。それどころか末っ子が仕掛けた “とある企み” のせいでその全てを世に詳らかにされる。晒されたのはこの兄妹たちばかりではない。ある者は自慰行為を見られ、またある者は全ての真相を白状する……。
先述のシーンで彼らがかっこよく見えたのは、以上の事の上に成り立っているから。「クズで結構」——主人公・小鉄のこの言葉通り、全てを晒け出したからこそ怖いものが無い。失うものがないからこそのかっこ良さ。あの降りしきる雨はおそらく世間からのバッシングのメタファー。その雨に濡れることも厭わない姿はまさに、世間からの罵詈雑言など痛くも痒くもないという姿勢にすら見えてくる。その証拠に、前半~中盤では描かれていたアンチコメントが映されなくなっていたしね。世間体に懐柔されない姿は今のご時世、最もかっこよく見える人間像の一つなのかもしれません。まぁ、ここまでキメておきながら少し締まりの悪い笑いが混ざるところもまた、この家族に似合っていて好きになる要素。装い、崩れ、開き直るという流れが見事に活きています。
そうして迎えるラストシーンは、遺産相続争いの時の嫌気が差す空気が嘘のように清々しい。ズブ濡れになり、息を切らし、服も汚れて、でもみんな笑顔で……。ボロボロで上手く喋れないから逆に大声を出し、だからこそ普段は言えないようなことが言える。ここでの「あれ、これ青春映画だったっけ?」と一瞬錯覚してしまう感じがとても気持ち良いんです。雨降って地固まる……、人々の恩愛に気付き感動する……。なのに、やっぱりコイツら変わっ てねーじゃん笑——そんな観客の心の声をキュートに代弁してくれるラストが、本作の余韻をより美しいものにしてくれていると思います。
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