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映画『アンゼルム “傷ついた世界”の芸術家』感想

予告編
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映画館だからこその芸術鑑賞


 本作はドイツの芸術家、アンゼルム・キーファーを追ったドキュメンタリー映画。

 3D上映ということだったのですが、近頃じゃ3D上映と言えばIMAX作品ばっかり観ていたものでして……。僕の手元にあったのはIMAXレーザー用の3Dメガネだけでした(どこにしまったかな? 捨てちゃったっけか?)。

 

 そんなことはさて置き。アンゼルムさんのことは存じ上げず、もっと言えば芸術についての素養なんて少しも持ち合わせていない自分がわざわざ本作を観に行ったのは、やはり “3D上映” が気になったから。

「飛び出す」とか「奥行き」とか、様々な魅力があることでしょうけれど、ついついエンタメ的な付加価値ばかりがイメージされやすい3D上映を、何故ドキュメンタリー作品に採用したのかが気になって仕方がなかったんです。この上映機会を逃すわけにゃいかないと思い、衝動的に映画館へ……。


 今しがたIMAXの話をしましたが、もしかすると本作もまたIMAXのような、或いは近々TOHOシネマズにも導入予定のスクリーンX(正面スクリーン+両側面の270°に映像が投影される上映方法)といった、通常よりも大きめのスクリーンで鑑賞しても良かったかもしれません。3Dが生み出す奥行き・立体感は、映像への没入感を高めてくれる。フィクションではなく、実際にアンゼルム氏が作業している光景や、彼のアトリエが映し出されるだけで、まるで映画を観ている自分自身がその場に居るかのように錯覚させられる。
 大袈裟だったかもしれませんが、「より大きなスクリーンで~」などと述べてしまったのは、そんな理由から。これは劇場で観てこその映画だと思います。



 正確に計測できるものではないので僕の感覚的な話ではあるのですが、実は本作、日本語字幕のテロップがやけに小さく見え、時には背景の色と同化してしまうほど控えめに表示されていました。これはもしかすると本作の作り手、そしてアンゼルム氏へのリスペクトの表れだったのかもしれません。最低限必要な情報を伝える字幕ですら、映像の邪魔をさせないようにしたい、という。本作はとにかく、映像を “見せること” に注力していた印象でした。

 とはいえ、いくら3Dで立体的に見せようとも、作品を鑑賞するという点だけで言えば、実際に美術館や展覧会に行って鑑賞した方がリアルに感じられるもの。それでも尚、本作でもって彼の作品を鑑賞することには、とても大きな価値があると言いたくなる。そして、それこそが“映画”だからこその魅力とも言える気がします。すなわち、時間や視点のコントロールができないということ。


 もちろん、本物を直に鑑賞することも素晴らしい体験ですが、気が済むまで、好きな部分を自由に眺められる通常の美術・芸術鑑賞とは大きく異なる。

「作品を何秒見つめるか」
「どこを注視するか」
「どの角度から眺めるのか」
等々……。

本作において観客は、時間も視点もコントロールができず、すべてを強制された上で眺めていくことになります。

 時に抽象的で、時には不明瞭であるからこそ、自身の理解や解釈の速度と、本作の進行速度が一致するとは限らない。なので、人によっては「もう少し今の作品を見ていたかった」や「いまいちよくわからないまま進んでいる」など、様々な思考が過ることでしょう。けれどそれこそが、本作の醍醐味なんじゃないかと。



 ちょっと話が前後しますがご容赦ください。ある時、アンゼルム氏の語りの中で、神話についての話が出てきます。だいぶ搔い摘んで言葉にしてみるなら、「神話は疑問に答えをくれる」というもの。

 一方で、彼のこれまで、そして現在の芸術活動の中から窺い知れたことは、多くの問い掛けや疑問を生み出していたということ。現実社会の問題だったり道徳観念だったり、そういった事柄に対する受け手の意識に働きかけ、自然と自問を促すかのよう。

 神話の件は、彼の芸術活動についてのインタビューの流れで出てきた話題の一つですが、「答えをくれる “神話”、それに対して “芸術” は~」と暗に語っているように思えたんです。


 「第二次世界大戦を反省していない」という発言からも彼の反戦の意思は強く感じますし、今も起きている戦争のことを示唆していたのかもしれません。また、ナチスドイツの敬礼のポーズも、決して冷やかしではないことも十分に伝わってくる。それでも尚、「仮にその当時、その場において、自分自身が当事者だったらどういう行動を取っていたかはわからない」という主旨の正直な意見を口にしていた姿も非常に印象的。白だ黒だとハッキリした答えを安易には出さず、常に問い掛け続けていたようにすら見えます。


 アンゼルム氏の作品の数々を、延いてはその芸術家としての活動そのものについても含め、彼自身がどう見せたい、どこを見せたいと想っているのか。そんな思いをヴィム・ヴェンダース監督が3Dという手法で映像にしてみせたのかもしれません。あくまで重きは、“見せること”。答えそのものではないんじゃないか……。



 繰り返しの言い訳になってしまいますが、僕には芸術の素養なんてこれっぽっちもありません。そんな僕なりの解釈で本作の魅力を言葉にするなら、以上のような感じになります。「時間や視点をコントロールする」という映画っぽい見せ方は、時には芸術作品の見え方を変貌させ得る。ともすれば本作は「アンゼルム・キーファーの作品」とも「ヴィム・ヴェンダース監督の作品」とも呼べるのかな? うーん、芸術ってやっぱり難しい笑。

ですが、また新たな映画の魅力に出逢えた、素敵な体験ができた気がします。とても満足の一本でした。


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