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映画『ブラックアダム』感想
予告編
↓
アンチ
観に行ったのは一ヵ月ほど前。ギリギリ IMAX 上映が残っていたので、慌てて駆け込んだ。まぁ平日の午前中だったから客の入り具合はまばらだったけど。
決してMCU(マーベル)批判ではありませんが、DC映画は単体で観ても超楽しい(リキャストや制作中止も重なっているから、結局単体で楽しむのが一番良いってだけかもしれないけどさ)。
中でも本作『ブラックアダム』は、その脳筋ぶりも相俟って、小難しいことなど一切考えずに楽しめる。その上で、ちゃんと原作ファン垂涎の様々なイースターエッグも登場している(らしい)というから素晴らしい。
欲を言えば、せっかくIMAX上映を観に行ったんだから、もう少しIMAX画角の映像があってほしかったなぁ……。
本作からは、 そんな大画面には収まり切らないぐらいのパワーが溢れている。もうね、ロック様が脳筋アンチヒーローを演じるってだけで「最高」の気配しかしなかったよ笑。 ※以下、若干ネタバレあり。
ブラックアダム(ドウェイン・ジョンソン)の、「オレはオレの好きなようにやる」という、ヒーローらしからぬ我の強さや、他者への配慮や社会的なモラルを二の次にした姿勢・言動が描かれていることは勿論ですが、やっぱりアンチヒーローという性質を視覚的にも見せてくれるから凄く面白い。
序盤、居候先 (?) のイシュマエルの部屋に貼ってあるスーパーマンのポスター、それも顔の部分に躊躇なく穴を開けるところから始まり、それどころか様々なDCヒーローのポスターが壁一面に貼られているイシュマエルの部屋で暴れたりもする。
そう、彼の部屋はヒーローへのリスペクトでいっぱいだった。ヒーローを求めている町で、大好きなヒーローに心酔していることがわかる。
だが、アダムはそんな部屋の中で暴れてくれやがるのだ。それは、ヒーローを模したフィギュアやポスターといった象徴的なものを壊すことでヒーローへのアンチテーゼを示しているだけじゃない気がする。
子供部屋って、現実のものでありながらもどこか心象にも近いイメージが僕にはあって、要するに心の中の視覚化というかさ。そんなイシュマエルの部屋の中で暴れ、部屋そのものを壊すかのような振る舞いは、ヒーローへの尊敬や崇拝といったイシュマエルの気持ちすらも否定(アンチ)しているかのよう。
ヒーローを求めている町、でもヒーローは来てくれない……そんなただの偶像・虚像と化しただけの空想のヒーローなどあてにするな!
……そんなことを突き付けているようにも見えてきます。
ブラックアダムが真のアンチヒーロー足り得る所以は、なにもヒーローたちに唾を吐くからだけではない。彼はありとあらゆるものに対してアンチの姿勢を崩さなかった。
悪人だとしても人間を「殺すな」と指示するホークマンに対しては「オレは殺る」と即答してみせるなど、ヒーロー側の見解とは常に真逆の姿勢であり続けたのも勿論だが、彼は、自身を求めていた街の人々からの期待も、玉座という頂(いただき)さえも否定する。自分は決して勇者やヒーローなどではないのだと。
一方で、未来を予知できる能力を持つ魔術師ドクター・フェイト(ピアース・ブロスナン)は、巧まずしてアダムに感化されたのかもしれないけど、〈未来〉という、ある種、逃れられない運命に抗う姿勢を見せた。
その後に出てくる「選ばれなくてもヒーローになれる」という言葉や、そして「あなたにしかできないことを」というセリフから行動を起こすイシュマエルと、立ち上がる民衆たちの姿は、”誰もがヒーローになれること”、延いては ”誰もが運命を変えられること” を示唆しているかのよう。
前述のドクター・フェイトの行動と同様。決められた運命に対してのアンチ。人間の運命を決めるのは、常に本人自身であるべきだと言わんばかりだ。
何もかもに対してアンチだったように見えて実は、勇敢な息子の偉大さを知っていたが故に「自分は本当のヒーローなどではない」と思い込んでいたアダム。
クライマックスでは、そんな自身の思い込みや運命に対してもアンチでいてくれた。もぉ、めっちゃアガる展開だよね。
ともすれば本来、「~~ない」「○○ない」などと批判や否定の言葉だけを重ねていては、何も生まれやしないはずなのですが……。
邪魔する奴はブチのめす、玉座だってブチ壊す、運命さえも破壊する。 そんなブラックアダムが示すアンチの先にあったのは、ヒーローではなく “自由” だったんじゃないかな。
彼は何物にも縛られたりしない、何者も彼を縛り付けられない。”自身の自由を脅かす全てに対するアンチ” であり、その精神性の象徴としてのヒーローでもあるブラックアダムの豪快さを楽しめる一本でした。
そしてそして、ラストのカメオ出演の喜びったらなかったよね。前述した、ポスターに穴を開ける一連のシーンの中で、一度も “彼” の顔が映されていなかったことにちゃんと意味があったのだと気付かされる場面でもある。
……しかし残念ながら、この奇跡のカムバックは白紙に戻るんだそうです。あくまで若き日の彼を描くからってことらしいんだけど……。 今後に期待して良いのかな? ……まぁ難しいか……。あまりにもつらいぬか喜び……泣。
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