映画『ツィゴイネルワイゼン』感想
予告編
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過去の感想文を投稿する記事【72】
学生時代の感想文を晒す記事です。もう幾つ目になることやら。今更ですが、学生の頃の文章や感性というものは、大人になってから振り返ると恥ずかしくて堪りません……。一方で、たかだか十年程度しか経っていないのに、「かわいいなぁ笑」と思える節もあるのも不思議です。
十年も前の感想文でもそんなことを思ってしまうということは、普段noteに投稿している感想文も、この先十年後でも恥ずかしく感じてしまうのかもしれませんよね。そう思えるまで、この趣味を続けていきたいです。
本日投稿するのは、明後日、7月15日(土)にWOWOWにて放送予定の『ツィゴイネルワイゼン』の感想文ですー。
生き死にを揶揄するセンス
先に述べておきますと、僕にとってこの映画は好きな部類に入るし良い作品です、確実に。けど、こういった作品を「イイネ!」だの「良作である」だのと肯定すると、“映画わかってますアピールしている奴” と思われそうで少し怖い笑。好きには違いありませんが、ハッキリ言って未だによくわかってないよ!
でも「もっと、何度も観たい」と思えるんです。なのに、観る度に感想が変わってしまう気もしてしまう。とりあえず2回観たものの、僕が感じたものと、実際に監督が描こうとしたテーマやメッセージの正解とが合致しているかは皆目見当がつきません。まるで生まれて初めて近代芸術にでも触れた時のような感覚に近いのです。ネタバレとは違うけど、もし観るのであれば、なるべく他人の意見を知らずに観ることをお勧めします。なので、所詮僕の駄文といえど、ここから先は観終えるまでは読まない方が得策かと……。
「死んでいる者が生きていて、生きている者こそが死んでいる」と言わんばかりの締め括りが、本作の全てを語っている気がします。呼吸をして心臓を動かしているだけでは死んでいるに等しい。そう、青地(藤田敏八)という男は、きっと死んでいたんだ。教授と呼ばれるような立場になって、綺麗な嫁さんが居て、立派な家に住んでいて、身に着ける服装だって安くはない。それだけまともな体裁を保っておきながら、映っていたあなたはずっと不満そうだったよ。満たされていないような顔をしていたよ。中砂(原田芳雄)を狂っていると思いながらも中砂に憧れていなかったか? なら何故そうならなかったのか……。自分の嫁が寝取られたかもしれないと思った時ですら、何も言わなかった。いや、言えなかった。
それだけじゃない、全編に亘り、頭の中で考えるだけで何一つ行動にはしていなかった。そんな奴は、死んでいるも同然なんだ。目の前の六文銭はきっと、「そんな生き方なら、とっととそれを拾って先へ渡っちまえ」というメッセージ。
(六文銭・・・故人が極楽浄土までの道のりでお金に困ることのないよう棺におさめる冥銭(めいせん)。また、三途の川の渡し賃とも。)
そんな青地という男は、あくまでも本作の中だけで描かれるフィクションではなく、現実世界にも無数に存在するであろう誰かしらの暗喩なのかもしれません。
最初は「うわぁ、手ェ出しちゃいけないやつに手ェ出しちゃったよ」と思ったのが本音。物語も進んでいるようでイマイチよくわからない。蟹のシーンに至っては何が何だか……。きっと多分、今の僕なんかじゃ、まだまだ早かった。もっと色んなことを経験して、多くのものを吸収して、いつか気が向いたら改めて観直そうと思います。
ただ、観終わった時には以上のようなことを考えていた自分が居たのです。青地のぼそぼそと喋るナレーションなんか、本人の性格とリンクさせたようで、非常に面白い。どこからが夢で、どこからが現実かわからない本作には、他では出逢えない魅力が漂っています。唯一恐ろしく感じることがあるとすれば、自分自身が青地になってしまわないかということだけだ。