映画『はちどり』感想
予告編
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PG-12指定
相識満天下 知心能幾人
とても小さく、重さは2~20g程度。毎秒50~80回ほど羽をはばたかせホバリング飛翔をする……。これは “はちどり” の話。北米・カナダからアルゼンチン北部にかけて分布し、自然界では “韓国に生息していない” この小さな鳥を本作のタイトルにした意味を少しでも理解したくて調べていたら、ほんのちょっとだけ詳しくなりました。
こんな些細なことですら本作を理解するヒントにできないかと思ったのは、この『はちどり』が簡単には言葉に形容できない作品だから。そしてこんな遠回りな手段を用いてでも、より深く味わいたいと思わせてくれる映画だったから。
ちなみに見出しに記した「相識満天下 知心能幾人」は、作中でも出てくる禅語。出典によっては「相識満天下~」ではなく「相知満天下~」ってなってるみたいです。
「相識満天下 知心能幾人」
「あいしるはてんがにみつるも こころをしるはよくいくにんならん」
意味は「知り合いはたくさんできても、心から分かり合える相手というのは、そうたくさんいるものではない」というもの。もはやこの言葉が、本作の全てを語っていると言っても過言ではないほどのキーワードかもしれません。
冒頭、エレベーターの無い団地の階段を上る少女、主人公・ウニ(パク・ジフ)の後ろ姿。玄関に着くが、扉が開かない。チャイムを鳴らしても、母の名を呼んでも開けてくれる気配は無い……。
なんて薄情なオープニングかと思っていたら、違う階の同じ部屋というだけでした。ただのうっかりでしかなかったのか……? ようやく自宅に帰った少女。閉まった扉を中心に少しずつ引いていくカメラ。視野が広くなり、映し出されるのは、同じような玄関の数々。右も、左も、上の階も、下の階も、全部が同じような見た目で、全てがとても無機質に見えてくる……。
とても不思議なこのオープニングが何を表しているのかはわかりませんが、ウニのような少女が、或いは彼女の家族のような家がたくさんあったんだよ、そんな社会なんだよ、と教えられたよう。もしくはそんな目線で観てってことだったのかもしれません。
韓国社会の事情を大なり小なり知っていた方がより深く理解できるでしょうけれど、ざっくりした認識でも問題ないと思います。本質の部分は本作で描かれていることが担ってくれているから。
彼女の住む部屋は基本的に暗い。明かりが点いていない上に、画面全体の彩度が暗めな印象がある。それはまるで彼女の心の在り様。少女と呼ぶにはあまりにも達観……いやむしろ何かを諦めたかような表情がその印象に拍車を掛ける。説明こそ無いものの、なぜ彼女はこんなにも……という視点で観ていると、次第にその理由がわかってくる。ウニの家族は、いつも目を合わせない。彼女は学校にも馴染めていない。関心や興味が無いという意味での “見られていない” という事実は、“見られている” 以上に痛烈に感じてしまうもの。
気付けば彼女に感情移入してしまっているのは、無論「明るくない」とか「なぜだろう」という思考を誘発させている本作の展開や演出の勝利でもあるのですが、それ以上に、そんな気持ちを知っているからこそ彼女に共感してしまう。
だからこそ塾講師のヨンジ(キム・セビョク)との出逢いは鮮烈で美しい。決して劇的な出逢いではなかったけれど、彼女がウニに教えてくれる言葉は全てが心に響く。日常に感じる不満、不条理、疑問といった “しこり” に触れてくる内容だからというのもありますが、多分きっと、物語の中で初めて、ウニに向かって真っ直ぐに向けられた言葉だったからなんじゃないかな。
物語の途中で、冒頭シーンを想起させるような、母親を呼んでも何も返ってこない、振り向いてもらえないシーンがあるのは、血の繋がった母親すら他人のように感じてしまうウニの心情を如実に表し、だからこそ目を向けてくれるヨンジとの時間を際立たせてくれています。
全編を通して説明が少ない分、能動的に観ていないと作品の良さがわかりづらいかもしれませんが、ウニが日常に感じている違和感への描写がとても素晴らしい。そしてだからこそ、自分を見ていなかった家族が自分を見ている瞬間が浮き彫りになってくる。あんなに横暴だった兄が、あんなに兄に偏愛していた父が、彼女のことを思って涙を流す。たった一度の涙、情けない泣き方、背中越しの泣き姿なのに非常に印象的に記憶に残っています。
母親についても同様。ウニはいつも冷めたチヂミを独りで食べていたけど、終盤では焼きたてを食べさせてくれた。そこで母が口にした言葉は、ウニに、或いはウニのような若い世代に向けた言葉のようにも聞こえてきて、これもまたとても印象的。ラストシーンの彼女の表情までが見逃せません。
実はまだ一回しか観に行けていないから自信は無いんですけど、多分二回、ウニが友達と二人でトランポリンで遊ぶシーンがあるんです。明るい陽差しの下、楽しそうに跳ねる二人でしたけど、彼女らの周囲には、転落防止のためか檻が設置されている。高速で羽ばたき、でもその場に留まる(ホバリング)だけの姿はまるで “はちどり”。それを社会的弱者と捉えるのか、それとも留まっているように見えるだけで、羽ばたきだす力を持つ若い世代と捉えるのか、未だに悩んでいるところです。
思春期の心に芽生える、“自分” と “世界” についての心のしこりを見事に描き出した傑作だと思います。ってか、この監督はこれが長編デビュー作品って、スゴ過ぎやしませんか……?