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映画『ボストン1947』感想

予告編
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自由


 本作は実話を基にした映画。1936年のベルリンオリンピック、マラソン競技において金・銅メダルを獲得したソン・ギジョンとナム・スンニョン。しかし、植民地時代にあったため、日本名、及び日本の国際記録として残ることに……。物語の舞台は、それからおよそ10年後、終戦とともに解放され独立した朝鮮(韓国)。才能あふれる若きランナーらとチームを組み、今度こそ祖国としての記録を残すためボストンマラソンに挑む……。



 日本では本国での公開より少し遅れて、2024年の公開となった本作。オリンピックイヤーということもあり、国の名を、国章を背負って国際大会に参加することの意義を改めて考えさせられました。

 人それぞれ思うところはあるでしょうけれど、「国威発揚」「国の威信をかけて」というものは、“自由” とは異なるもののように思えてしまいます。あくまでも、個人的には。

 もちろん、それが力になる方もいらっしゃるでしょうが、重圧、プレッシャーが枷となってしまい、自由を脅かし得るのもまた事実。或いは、その活躍に対する評価がアスリート本人へ正当に還元されないことは、ある種、水を差されたような気分にもなりかねない。


 しかし! 本作で描かれることは真逆であると、はっきり述べておこうかと。ベルリン五輪において本名で走れなかったソン・ギジョン(ハ・ジョンウ)、ナム・スンニョン(ペ・ソンウ)の二人のランナー。そしてボストンマラソン出場を目指す若きランナー、ソ・ユンボク(イム・シワン)の三人にとっては、祖国の名を、国章を背負い参加することこそが、何よりの自由の証明だったに違いありません。ベルリンの時とは違い、今は日本の植民地ではないのだと、独立しているのだと世界に示せる時。歴史的な “しがらみ” のせいで国際大会に参加することすらままならず、難航を極める中、様々な苦難を乗り越え、多く人々の支援を受け、ようやくボストンマラソン参加へと至る本作は、まさに自由への戦いを描いていたように見えます。その道のりには、いくつもの “不自由さ” がありました。


 たとえばユンボクの境遇について。「第2のソン・ギジョン」とまで期待視されるほどの逸材ながら、家族の生活を支えるのに精いっぱいで、マラソンどころではなかった。いわゆる「ヤングケアラー」というやつですが、当時はそんな言葉も存在しなかった時代。ましてや終戦して間もない頃ですから、彼のような若者は他にもたくさんいたのかもしれません。

 また、彼が街中で見知らぬアメリカ人と揉めていたシーンも同様。劇中のセリフでも少し語られていたことですが、日本の植民地から解放されたとて、また別の列強国が幅を利かせていたことも “不自由さ” を際立たせるものでした。


 そういった多くの不自由さや束縛感が際立つ中で、次第にそれらの逆境を撥ね返し出す流れに変化していくのが本作の面白いところの一つ。

 ボストンマラソンに向けての支援金を集めるべく、ギジョン、スンニョン、ユンボクの三人で資産家や権力者たちの宴席に参加したシーンは特に印象的でした。アスリートたちの想いなど歯牙にもかけないというか、おおよそ無関心で、協力的ではない大人たち。しかも、まるで「小遣いやるから大人しくしとけ」とでも言わんばかりにユンボクに数枚の紙幣を握らせ、尊大な態度を取ってくる。(そこで堪りかねず彼らと衝突してしまうあたり、ギジョンの人柄が窺い知れるのですが笑、一方で、)そこで言い返せずにいたユンボクの姿が忘れられない。

 ユンボクははじめのうち、お金のために練習に参加していました。けれどある時、それがギジョンにバレ、厳し過ぎる指導を受ける中で、売り言葉に買い言葉の勢いのまま、それまで受け取っていた金を突き返す。宴席で札を渡されたシーンも含め、何かにつけて経済的な事由が彼の行動に影響を及ぼしていたこと、言い方を変えれば、お金に縛られていたこと——“不自由” であったこと——を暗に示している。だがそんな彼がいつしか、自分のために走るようになる。(この最大のきっかけとなる瞬間も重要なのですが、それについては実際にご覧になって頂くとして。)



 遂に迎えたボストンマラソン当日、そのスタート直前。ユンボクが、自由に羽ばたき空を飛び回る鳥を見上げるシーンは、まさに “自由” を象徴する瞬間。数々の障壁を乗り越え、ようやくこぎつけた機会。以上までに述べたような不自由さや束縛感、しがらみといったものが無くなり、自由に走れることを教えてくれるよう。

 とはいえ、彼らのゴールは出場ではない。ここから本作はもっと面白くなっていく。今思えば、本作で描かれるドラマとマラソンは、物凄く相性が好い気がします。なんとなくですが、マラソンという競技は「不屈」や「直向き」といったものをイメージさせてくれる。時には大逆転のような展開もあるものの、それらは何かしらの一手だけ、一発だけで状況をひっくり返すものではなく、コツコツと積み重ねる地道な道程しか存在しない。そういった競技上の特性から、そんなことを感じてしまったのかな?

 また、ここからのシーンによってスポーツの力強さをも再認識させられるのも見どころ。個人的には、実況中継の男二人の掌返しが大好きw。はじめのうちは彼らを馬鹿にしていたのに、次第に彼らを評価するものへと変化していく。スポーツは、社会の人々の認識や価値観を大きく変えられるもの、それも大海や国境、ましてや言語を飛び越えて。レースを面白く見せるだけでなく、そういった “スポーツが持つ力強さ” さえ感じ取らせてくれる存在だったんじゃないかな。

 実話を基にしているためネタバレも何もあったもんじゃないかもしれませんが、それでも、本作の行く末は実際に観て楽しむのが一番です。ラストに流れるテロップも含めて……。


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