映画『ちひろさん』感想
予告編
↓
PG-12指定
月のウサギ
「僕たちはみんな、人間っていう箱に入った宇宙人。みんなやってきた星は違うんだから、分かり合えなくて当然」——。予告編でも出ていた、突拍子も無い見解。しかしながら、本作においてこの話が最も重要なことの一つのように思えます。本作は決してSFやオカルト系の物語ではありませんが、日常の中に挟まれる、こういったいくつもの喩え話(たとえばなし)というか比喩表現がとても寓意に満ちていて、心地よく感じられました。〈人間〉はあくまでも “ガワ” という外側の情報でしかないと思えることで、本作の見え方がだいぶ変わってくる印象です。本作には、その “ガワ” と上手く折り合いを付けられていない人が出てきます。
たとえば、女子高校生の久仁子(豊嶋花)。家庭や学校の中で、いつもどこか取り繕っているようで、まるで周囲の空気を侵さないよう、波風を立てないように過ごしている風に見受けられる。友達との雑談も、両親との会話も、本音を隠しているみたいで、どことなく覚束ない。友達同士のグループLINEでも、他の女子友達のスマホ画面を映さずに、敢えて久仁子のスマホ画面を印象強く見せることで、一人だけ色の違う発言、要するにLINEでは相手のメッセージと自身のメッセージの吹き出しの色が異なることを利用して、彼女一人だけを浮き彫りにするようにして描写したり、カラオケルームでおしゃべりしているシーンでも、久仁子一人だけがブレザーを着ていたり等々。お芝居や物語だけではなく、視覚的にもそういったことが窺い知れます。
そんな彼女が、ある時、ちひろさん(有村架純)に出逢う。いや正確に言うと、前々から認識はしていたようなのですが、ちゃんと交流が始まる。久仁子は以前からちひろさんのことを隠し撮りしていたようですが、ちひろさんが実は元風俗嬢であるということを知らずにいました。家族や友達などのコミュニティという “ガワ” に囚われ、四苦八苦していた彼女が、ガワに頼らず、自分の目で見て感じたままにちひろさんを追っかけていたという導入が、本作のテーマの入り口として素晴らしいと思います。
実はちひろさんは、幼少期に出逢った女性が用いていた源氏名と同じ「ちひろ」を自身の源氏名にしており、風俗業を離れた後も「ちひろ」を名乗り続けていました(まぁ “名前” ってのもガワの一種なのですが、「これもガワ」「あれもガワ」と言い出したら切りが無いので、これ以降は割愛します)。
そんな出逢いがあった日の帰り道。幼少期の彼女がもう一人のちひろさん(市川実和子)(ややこしいので、以下、もう一人のちひろさんは「チヒロさん」と表記)に「月にウサギなんていないよね?」という質問を投げ掛ける。笑いながらあっさりと「いるわけねえだろ」という答えが返ってくる。「サンタなんかいない」と同じで、子供の夢を壊すような、一見すると薄情な発言ながらも、幼い彼女は嬉しそうにその答えを受け止める。
先に申し上げておくと、僕はこの一連のシーンがとても好きなんです。“月のウサギ” は、まるで本項で述べるところの宇宙人を指しているよう。そんなウサギを「いるの?」ではなく「ウサギなんていないよね?」と問い掛けているだけでも、幼い彼女にとってそのチヒロさんが如何に特別な存在であるかを語ってくれている気がしてならないのです。
その前のシーンでチヒロさんが口にした「夜はわたしたちの味方」というセリフの存在も大きい。暗い夜にポツンと座り、手作りの手巻き寿司を食べる幼い彼女。同じようにポツンと座り、飴玉を舐めていたチヒロさん。そして、暗闇にポツンと浮かぶお月様……。(決して、主演の有村架純さんがauのCMでかぐや姫を演じているからというわけでなく)月の存在が二人の暗喩のようだし、「月にウサギなんていない」という回答が先述のセリフの「わたしたち」の部分に引っ張られるようだし、もっと言うと “静かな暗闇の中のポツン” が漂わせる孤独の雰囲気が、「わたしたち」という言葉に「わたしたちだけ」というニュアンスを付加してくれるように感じられる。「分かり合えない」と思っていてもこの広い宇宙のどこかには同じ星の人がいるんだ、と思えた彼女の原体験が、とても繊細に描かれていたように思います。
そんな回想への持っていき方も印象的でした。まぁ当人の気持ちや各家庭の事情もあるとはいえ、親の葬式にも行かない彼女が、野鳥やら、おっさんやら、孤独に死した者を弔おうとする。孤独な自分と重ね合わせて憐れんでいるのか、それともちゃんとお星さまになれるよう祈っているのか。真意こそ判然としませんが、暗闇にポツンと浮かぶ光を描き、そこから先述した回想シーンへと流れていく。こういったところも良かったと思います。
度々訪れる、闇の中の月を映したカット。他にもお月見、お団子を食べるシーン等々。月の印象が強く、もちろん観る人それぞれで、その月が何の象徴だと感じるかは違ってくるでしょうけれど、この静かな暗闇の中にポツンと浮かぶ月の雰囲気を堪能するなら、配信よりは劇場の方が良いのだと改めて思います。近場だと新宿武蔵野館だけでしたが、少なからず劇場でもかかっていたのはそういう理由なんじゃないかな。ましてやこのゆるやかで静かな筆致を、ネトフリ等動画配信サービス特有の倍速再生なんかで観てしまうのは非常にもったいない。
久仁子だけじゃなく、何か一つのコミュニティに縛られ、囚われると、堪えられなくなることもあるかもしれない。実際、ちひろさんもそうだったのかもしれない。風俗嬢になる前の彼女、事情はわからないけど靴がボロボロになるくらい疲弊していた描写もあった。たとえ同じ家族でも、同じ星の人とは限らない。だからこそ、本作では〈孤独〉を悪いものとして描いていないんじゃないかな。今いるコミュニティだけが世界の全てじゃないし、他の場所に同じ星の人がいるかもしれない。そして、孤独を手放さなくたって良い。
弁当屋の多恵さん(風吹ジュン)の言葉を彷彿させるようなセリフで締めくくるラストも心地よかった。安田弘之さんの同名コミックを実写化した本作ですが、原作は未読なので、あくまでもこの映画だけを観た感想ですが、とても良かったと思います。
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