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映画『生きててよかった』感想

予告編
 ↓

PG-12指定


ヤバさ


 当事者にしかわからないこと、理解できないことを他者に共感させるのが〈物語〉の凄まじさ。それは映画に限ったことではないはずなのに、殊更に映画に心酔してしまうのは、言語化できない部分を見せてくれるからかもしれません。
言葉で正確に形容できないからこそ、 有耶無耶になりかけた部分を前後の文脈が、それこそ受け手の都合の良い形で補正してくれる。……それが故に観た人によって感想が異なるわけだが。

 ド頭からまどろっこしい言い方をしてしまい、すみません。何と言うか本作は、決して ”良い話じゃない”。
だからこそ、正しくないもの・間違った事でさえ美化してしまう〈映画〉ならではの魅力、もとい魔力を再認識させられました。当然、褒め言葉です。



 プロのボクサーだったがドクターストップによって引退せざるを得なくなった主人公・ 鏑木創太(木幡竜)が、普通の社会人として第二の人生を歩み始めるも、今までボクシングしかやってこなかったために上手く社会に馴染めずにいる様子が描かれる前半。

上手くいかない日常シーンの辛気臭さから、「後半にかけてきっと熱い展開が待っているんじゃないか」なんて期待をしてしまうのは、なかなか消えないボクシングへの情熱と、主人公のボクサー然とした絞られた体型などから、近年の邦画で言えば『BLUE/ブルー』(感想文リンク)や『劇場版アンダードッグ』(感想文リンク→前編後編)のような、或いは、それこそ主人公の人生を決めてしまった映画『ロッキー』のようなボクシング映画を想起してしまうから。

……と思っていたけれど、実はそうじゃないかもしれ ない。期待してしまうのは、それくらい陰気なドラマだからであり、つまりは無意識に救いや明るさを求めてしまっていたから。



 絞りまくった体型から見受けられるソリッドな印象とは対照的に、朴訥という言葉だけでは片付けられない不気味さを放つ主人公。そしてそんな彼を支える妻・幸子(鎌滝恵利)も、一見すると健気で可愛らしいのに、どこかヤバさが滲み出ており、これもまたおかしい。
劇場でも笑っている人と笑っていない人がハッキリ別れていた印象です。



 ある種、日本の定年制にも近い問題にぶつかるあらすじ、そして結婚観や人生観、夢や目標、理想と現実などなど、考えさせられる要素がいっぱい詰まっているはずなのに、悉くどうでもよく感じさせる程の異質さがあります。

 本作はボクシング映画ではなかった。『ロッキー』はあくまでも絵空事。結果、前述の辛気臭く陰気な空気をぬぐえないまま、文字通り地下へと潜っていくのですが、前半で描かれてきた主人公の社会不適合ぶりや、幸子も含めた若干のメンヘラカップルぶりとの相性が好く、何故か面白く感じられてくる。

これから足を踏み入れるのか、というタイミングで映される斜めの画角も、今後の展開の不穏さを煽ってくれます。



 端的に言えば、本作の面白かったポイントはヤバい人間のヤバさ笑。「ちゃんと生きてろよ」という会長の言葉も、愛する妻の幸せも、友情も……。
本作で提示された、真っ当で現実的で普通の日常へと向かうきっかけ、その全てを、彼の本能が払い除けてしまう。勝利を求め、闘いに身を投じ、昂れば昂るほどに創太は満たされていく。トレーニングに打ち込む創太の姿はまるで、彼の憧れのロッキーになりきっているかのよう。

けれど、それは本人だけの思い込みで、前進すればするほどに、堕ちていく。心に本気の炎が灯りシャドーボクシングを始める創太を、まるで社会的にヤバい人かのように、街行く人々の訝し気な視線が創太を囲んでいくシーンの残酷さは素晴らしい。



 ここまで来ると、共感羞恥もどこへやら。今やフィクションですらコンプラや道徳が求められる時代に、ヤバい人を安全圏から眺められるという刺激を物語で味わえるのが本作。

前述の会長の言葉をフラグにし、次第にタイトルの意味が変化していくのも非常に面白い。 後半に描かれる濡れ場のシーンも、二人のおかしさや行為の忙しなさのおかげで、エロスだけじゃない見応えに繋がっていました。



 我ながら「ヤバい、ヤバい」と語彙力の無さに笑ってしまいそうですが、多分これが一番しっくりくる。明確に形容してしまうと、賛否のどちらかに片寄ってしまう気がするから。

この刺激感を味わう、なればこそ、PG-12どころかR-指定でも良かったとすら思えます。内容のクセや、芝居の感じで好き嫌いはあるかもしれませんが、面白かったです。


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