映画『BISHU 世界でいちばん優しい服』感想

予告編
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才能の在り処


 世界三大毛織物の産地である尾州地域を舞台に、発達障害を持つ女子高生を主人公にした本作。尾州ウールやファッションについての話も然ることながら、この発達障害という設定も本作の特徴の一つ。

主人公・史織(服部樹咲)のその障害について、(映画情報サイト等では明記されていたものの、)実は予告ティザー映像では “ちょっと苦手なことがある” といったニュアンスで表現されているのみでした。ただ、冒頭や序盤のうちに、お決まりというか日課のルーティンであることが窺い知れるシステマチックな日常風景が描かれるし、少し話が進んだ頃にはセリフでも明言されていたので、理解が追い着かないということはないはず。本作は各所でそういったわかりやすい・観易い配慮が為されていたと思います。

 

 実はもう一人、彼女以外にも障害を抱える人物が登場します。大村満(黒川想矢)君という中学生。この二人が初めて同時に描かれる場面はとても印象的でした。道路工事のため、いつもの通学路が通行止めになっており、迂回せざるを得なくなるシーン。大きな音が苦手という史織の特徴を描きつつ、同時に満の登場を描くという物語上の役割とも解釈できますが、それよりも、〈通行止め〉という状況そのものが、発達障害を抱える人達の日常を暗に示していたように見えたんです。

 学校へ行く、いつも通りの道順で……“たったそれだけのこと” のために、遠回りをしなければならない。通学だけに限らず、何事においても周囲より遠回りが必要になってしまう。そういった不便さを序盤のうちに提示していたのが、この〈通行止め〉のシーン。先述した朝のお決まりの日常を描いたシーンの直後だったことも相俟って、“いつも通り” や “当たり前” を阻害された印象がより際立っていたんじゃないかな。

 また、ここで足止めを食らっていたのが史織と満の二人だけで、且つ、どうすれば良いか判断がつかず戸惑っていた満に気付き手を差し伸べたのが、他の誰でもない、同じく障害を持つ史織だけであったというのも大きい。遠回りしなければならないのは彼らだけであること、そして何よりも、当事者以外にはあまり気付いてさえもらえないことを象徴していた瞬間でした。


 

 今しがた、「たったそれだけ」という述べ方をしましたが、この「たったそれだけ」というのは健常者・非障害者的な言い草かもしれません。けど、この「たったそれだけ」は必要な言葉。

 劇中、史織の父・康孝(吉田栄作)は、史織が朝ちゃんと起きられるようになるまで150日以上掛かったのだと、非常に語気を強めて話していましたが、それほど周囲と足並みを揃えること、他人にとっての当たり前が出来ることは簡単じゃないと教えてくれるセリフでした。妻に先立たれ、周囲から「過保護だ」と言われようとも必死に娘を育ててきた康孝の背景が、その言葉に、より重みを与えてくれるようです。

 

 それらが実際に過保護なものなのか、それとも適正なものなのかは判然としませんが、少なくとも幾人かの口から「過保護」という言葉が出てきたことによって、その後の「見つける」「守る」というキーワードを際立てることに繋がってきます。

本作において才能は、それを見つける人と守る人がいて初めて輝くものとして描かれています。実際に史織という才能を守る人も、見つける人もいましたし、“服を作る” という工程それ自体も、一人だけでは決して成し遂げられないものがあることを仮託する存在として機能していたんじゃないかな。

 

 一方、家業の後継のことや地元の伝統について等々、「守る」が、その域をはみ出して「守らなければならない」という “呪い” になってしまいそうな雰囲気が感じられたことも、個人的には面白いポイントでした。「過保護」も度が過ぎれば当人の可能性を潰し得る。そうやって家族内で意見が割れた際、康孝だけが別カットで映されることで対立が際立ち、延いては彼のその想いが、史織や布美(岡崎紗絵)にとっての呪いに化けかねないという危惧をも匂わしていたのかもしれません。

 

 少し話を戻しまして。言語化されることで何かが際立つという点でいえば、序盤、史織の親友・真理子(長澤樹)の「黒い敵意」というセリフも印象的。本項冒頭で述べた「わかりやすさ・観易さ」にも繋がってくるかもしれませんが、その後にもちらほら見受けられる様々な状況下における周囲からの敵意が明瞭に感じられてくると思います。

 また、過剰反応してしまう周囲とは対照的に、史織はそういう「黒い敵意」をいまいち理解していないため、例えば姉・布美からの不満や愚痴といった濁りを素直に受け止めてしまう。こういった描写の積み重ねは、主人公の人柄を輝かせるのに一役買っていたのかもしれません。そういえば、本作のクライマックスで、グランプリやら表彰式の瞬間がいちいち描かれていないのも、ある意味主人公の人柄に合っている気がします。

 


 障害をテーマにした作品、或いは主要キャラクターが障害を抱えている設定の物語って難しいと思います。ともすれば「感動ポルノ」だなんて揶揄されてしまう恐れだってありますし。もしくは、障害を抱えている “設定” という、健常者が演じていることに対して(日本国内では指摘されることはほとんど無い気がしていますが)エイブルイズム(非障害者優先主義)のレッテルを貼られてしまうかもしれません。そういった形で腫れ物というかアンタッチャブルな存在になってしまわないかと不安になるばかりです。人それぞれ思うところはあるかもしれませんが、一先ず、本作のように前向きな物語の映画に出逢えるうちは大丈夫なはず。そう信じています。


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