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映画『ディアーディアー』感想
予告編
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過去の感想文を投稿する記事【97】
毎月、第四火曜日は「四(し)火(か)」にちなんで、「鹿の日」という記念日なんだそうです。
まぁ記念日っていうよりは、こういう日を設けて、エゾシカの命に感謝して美味しく頂きましょう、みたいなことらしいですね。
ということで本日は鹿にちなんだ映画『ディアーディアー』の感想文を投稿します。
でもホントは、本作の鹿ってエゾシカじゃないんですよね。
……まぁいいか。
是非読んでくださいー。
現在(いま)との対峙も大変だけど、過去との対峙もまた超難題
冒頭、博物館らしき場所で女性が一人で見物しているシーン。作品の要となるリョウモウシカの説明への導入、そのためだけのシーンと思っていましたけど、後々になって、この時に彼女が敢えて順路とは逆に見物していたことが、なんとなく理由を孕んだ行為のように思えてきます。
これは僕がどこぞで見聞きした覚えがある程度の話なんですけど、例えば人物の顔を書く時なんかが如実で、左向きは過去、右向きは未来を意識、重視しているんだとか……。
そういえば、水平に直線を引いて時間軸を表す際なんかも、右方向を未来としていますよね。
(それとこれとは全くの偶然なのでしょうけど笑、)順路に逆らってまで左に進む彼女の存在は、この物語の主人公である三兄妹の暗喩だったのかもしれません。各々違えど “鹿” という過去に囚われている、という点……。そう思えば、こんな些細なシーンにわざわざ菊地凛子さんをキャスティングしたことにも納得できる。
「やり直したい」「なかったことにしたい」「忘れて欲しい」……etc. そんな感覚、誰しもが多少は思い当たるんじゃないかな? 僕なんかそんなんばっかりですよ笑。決して消えたりしないそんな過去たちに振り回される気持ちはよくわかります。だからこそ、そういった負の感情をデフォルメさせたようなこの三兄妹が酷く滑稽に見えて、他には無いシュールなユーモアを生んでいるんだと思うんです。
“デフォルメ”って簡単に述べましたけど、本作はこの “リセットしたい願望” のデフォルメのさせ方がミソなんじゃないかと思うんです。非常に上手い。“自己肯定”、もしくは “自己を肯定したい” みたいな欲望を肥大化させることでこれを可能にしているんです。
その価値や意味には目を瞑り、工場を守るという大義名分を糧に自身の存在意義を噛みしめ自己満足に浸るフジオ(桐生コウジ)。自分が幸福になるために、幸せそうな誰かの大事なものや想い人を手に入れるという手段を取ってきたアキコ(中村ゆり)。そして、一人だけ不器用だったけど、責任転嫁の繰り返しで自分が傷つかないことだけを第一に考えてきたヨシオ(斉藤陽一郎)……。
もうね、自己顕示欲とか承認欲求とかもそうですけど、この兄妹には人間のダッセー、みっともねー部分がいっぱい詰まっているんです。アキコが自分の部屋に映画『リアリティ・バイツ』のポスターを飾っていたのも良い。自分は有能だと思い込んでいるような素振りを魅せる彼女がそれを貼っているからこそ、「うわぁ、こんな映画みたいなこと期待しちゃってるタイプの人だ」と思えて可笑しくなってしまう。
そんな三兄妹を囲う周りの奴らも外せません。目上の人への礼儀・礼節も知らない上に他人に盗みを唆す小僧、金儲けが第一のゼニゲバ坊主、浮気する奴、されてブチギレる奴……。ロクでもねー奴ばっかりって部分も、素敵(?笑)です。