「あいみょん」にはなれない
私には4歳の息子がいる。
名前はレイ。
私とレイは毎晩、お風呂の中でおしゃべりをするんだ。
レイは4歳だけど、トークがとても上手くなって。ある時から割と流暢に。今日、起きた出来事や、最近の遊び、日々の楽しみ方を話してくれるようになった。その時間、私は心ごと湯船に入るようになった。ぽちゃんと温もりに浸かるように、芯からほどけていくものを感じるんだ。ホッとして、自然と目尻が下がる。頬はゆるみ、緊張の蓋は取れていく。毎日、レイが考えている大切なことを聞く。その時間が、私の楽しみになった。
そんな今日のお風呂のおしゃべりは「将来、
何になりたい?」というオーソドックスな
テーマになったんだ。
「レイは大きくなったら何になりたいの?」という母の質問に彼はこう、答えた。
「優しくしてくれるひと〜」と。
はて?
「優しくできる人」になりたいってことか?
レイは、質問の意味が分かっているんだろうか?と。微妙かつ意外な解答に、真相が気になり、母はもうひとつ尋ねることにした。
「レイは、誰かに優しくしてもらったことがあるの?」
すると、彼は即答で
「アオちゃん。」と答えた。
なるほど。彼はどうやら、アオちゃんから
「優しさ」を貰い、心を温め、感動して、
憧れを連れて帰ってきたんだなぁと。母は、しみじみアオちゃんに感謝した。ちなみにアオちゃんとは、息子の1番のおともだちだ(女子)
サンクス!ありがとう!と、アオちゃんへの
アリガトエピソードはさておきだ、
それからレイは、私にも尋ねてきたんだ。
「ママは?ママは、何になりたいの?」
私は即答する。
「あいみょんだよ。ママはあいみょんになりたい。」
するとレイは笑った。笑って「無理じゃん」と言ってきた。私はそんなレイがちょっと嫌だったんだ。「あいみょんになるなんて、なんとなく無理っぽいじゃん」と解釈してるのか?って、それがちょっと嫌だったんだ。ちょっと。レイにはまだ、知らないでいて欲しい「常識」がある。親として「常識」を知って欲しいくせにな、親として「常識」を知らないでいて欲しい。そんな曖昧な気持ちで。せっかくだし言い返してみたんだ。
「無理じゃないよ!ママは頑張れば、
あいみょんになれるでしょ!」
なんつって。大袈裟にギターを弾くモノマネをして、気持ちよく歌って見せて、笑ってみた。
するとレイは
「ママ、ギター持ってないじゃん。」と
クスクス笑っていた。
そうね。ギターは必要だよね。マイクもね。
なんて。
息子はどこまで分かっていて、
どこまで分からないんだろう。
そんなことをふと、思ったんだ。
それから湯船を出て、身体を洗う。
私は、脳を彷徨って考えた。
私は「あいみょん」には、なれないんだ。
ならば
「あいみょん」になるには、何が足りないのだろう。ギターが無いから?マイクか?時間がない?歌唱力?勇気?熱意?才能?努力?
大人になると、「足りないもの」に対して
うんたらかんたら言い出すが、結局のところ
何よりも先にくるのが「諦め」なんだろう。
そう思った。
勿論、私が「あいみょん」になりたいというのは冗談で「あいみょん」になるのは無理で、歌手になるのもちょっと無理で。そんなこと分かっている。そんなことは分かっているんだ。なんなら、小説家になったり、料理家になったりすることも、私が「無理だ」と言った瞬間に無理になるんだろうね。
ただ、私はこれ以上「無いもの」を数えることに、一つも魅力を感じない。私に今、「あるもの」はなんだ?そっちを知りたいんだ。
私にしか無いものはなんだ?そう考える方がよっぽど賢いだろう。「あいみょん」になくて、私にあるもの。
あるよね。きっとある。
最後に話は逸れるけど。
時に、人生には「ライフスタイルの変化」という波が来る。ある人は、生まれたての子供に全てを捧げる日が来る。ある人は、キャリアを放って、友人と離れ、恋人と別れ、人生を変える日が来る。ある人は、夢を追ってこの国を旅立つ日が来るだろう。そんな皆は、失敗だってするだろう。文句を言われて、馬鹿にされて、思い通りにならなくて、切なくて、寂しくて、自らへの失望感で真っ暗になった時、
「私には何も無い」
とか言ってしまいたくなるだろう。「私は何のために生きているんだ?」「誰のために生きているんだ?」とか、人のせいにもしたくなるじゃんね。そんな時こそ。
「自分にあるもの」を数えないとな。
「一つもない。」なんて人はいないよ。あなたにだけ「あるもの」が必ず。一人に一つ。
それは、あなたという「命」の形だ。
だよね。
私は「あいみょん」になれない。ただの主婦だから。この先、何があっても息子の母親でありたいという、この世界は狭いのかもしれない。ただそれは、この世で一番、幸せなことだと忘れないでいたい。忘れないでいたい。
今、あるものの中で。幸せを願う。
お風呂で頭を流し、鼻歌であいみょんを歌う。
今ある私を、生きよう。