見出し画像

ブレずにいること



9月12日(木)



私の話から失礼。

私はこれまでに、ヨガの先生をしてみたり、心理カウンセラーをしてみたり、自己肯定感の学びを受けたり、瞑想の講師資格を取得してきた。それからオンラインサロンを運営したり、一年間エッセイを書き続けたりしてきた。それで今は何をしているかっていうと「エネルギー療法」で人を癒すちょっと変わった治療家をしているんだよね。
そうしてアレコレ歩んできた中で私がいつも考えていたことがあるんだ。それは
日々は楽しく、面白おかしいのか?
ということ。トキメキや波瀾万丈も含めてね。

たとえば仕事がうまくいっていて3ヶ月先まで予約が満席になっていたとしても、「マジでもう死にたい」と思う夜があったりして。反対に仕事をしなくなってめちゃくちゃ休んだ時にこそ「トキメキ」が見えて無我夢中に走りだした朝もあったように。
自分にとって今の毎日には光があるのか。寝る間も惜しんでやりたいことがあるのか。スピード感はあるのか。マイブームはなんだ?つまんないことはなんだ?迷いはなんだ?恐れはなんだ?と。やっぱり「心が終わっているのに、続けている」みたいな状態がないよう生きてきたんだ。

そうなると、ここまでの沢山の失敗は仕方ないことがあるのかなと思った。super beaverの詩にも「今日までの道のりがさ、正しく最短だったのかって、わからないけどなんとなく これで良かったと思っている」と歌われているしね。本人が「あの時の経験があってこそ」みたいなことを思えれば大成功なんよね。


というわけで私は今日も、数人の患者さんと過ごした。どの人も一生懸命に生きていることが伝わって胸がズシッときた。涙や笑顔やその人から溢れる魂を感じた。私ができる最善のことを全力投球でぶつけて、汗だくになり3回も着替えたりした。文字通り、熱い1日となった。

それから夜、お風呂の中でも仕事について考えていたんだけど。思えば私の患者さんは皆んな「ありがとうございました」って深々と言いながらお支払いをしてくれるんだよね。「ありがとう」って言われながらお金をいただく行為って、思えば本当に珍しいんじゃないかなって。ぽわんとあったかい湯船の中で、ひとりひとりの患者さんたちの顔を思い出してまた胸がジンとしたよ。



夕飯は、なんでもない日のお祝いだったのか、旦那さんがフレンチに連れていってくれた。県庁の最上階で夕陽が沈み、夜景が浮かんでくる光景を見ながら特別なディナーとなった。ありがとうがいっぱい詰まったような一日だったな

お腹いっぱい、胸いっぱい。おやすみなさい

この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?