自分と他者との心地よい「間合い」~バウンダリー
「なあなあ」の侵食…
家族兄弟・親戚・気が合う、仲のいい親しい人…近しい間柄の相手であればあるほど、ちょっとした決めごとに対してなあなあになる。
あの人は あのグループは あの場は
ああいう感じだから まあだいたいいつものことだから
少しくらいなら外しても守らなくても
だいじょうぶ どうってことない
こういうことを完全に否定したら息苦しくてしんどいのもまた道理で、たいがいはほんとうにだいじょうぶ。どうってことない。
そうは言っても、それが行き過ぎて、相手の期待を外してしまう。自分の期待が外される。さらに、なんとなくそれが繰り返されて、不平不満が募って諍いや諦めに至ってしまう。
自分も相手も、互いにどちらかを一方的にたてるだけでもなく、どちらかを一方的に抑え込むでもなく、それぞれが本来やりたいこと、やるべきことを大切にする。尊重する。
さらには、そういう線引きや割り切りを示したり、落としどころを探ったり説得したりするときに、「理に適っているから」「筋が通っているから」というふうに論理的に筋が通った根拠であるばかりをただ説明するだけではなく、双方にもたらされる「好ましさ」「心地よさ」といったような気持ちまでもうまく伝えるには?
単なる先延ばしではないのだけどな…
言われたことにすぐに対応できないときや、時間がかかりそうなとき、時間を掛けたほうが望ましい感じがするときに、ひとまずある程度の時間を置いてからという意思をできるだけ早く伝えることは大切だ。
だけども、そんな「適切な先延ばし」の自分なりのさじ加減やその伝えかたがうまく咄嗟に思い浮かんでこない。そういうときに考え込み過ぎてダンマリになってしまわずに素早く第一回答をすっきりと返すには?
後味の悪さを残さないために…
「何度言っても通じない」「何を言ってもわかってもらえない」時にはそういうこともある。かと言って、自分の立場や心身を犠牲にはできない。我が身を守ることは必要。
相手を乱暴に突き放したり、投げやりになったり、まあいいやと諦めてしまったりして自己嫌悪や自己卑下に陥らないように、はたまた相手への恨み辛みや軽蔑で終わらないように、後味の悪さをいつまでも引きずらないようにするために、なにかできることはないものか?
自分と他者を区別するラインはある
人の意向・領分・権利・価値観など...自分に相手にもあるそれぞれの「境界」。自分と相手(他者)それぞれの領域を区別するためのライン。それがバウンダリー(境界意識)。
自分の身の回りのスペースや所有物といった物理的なラインもそう。自由や権利であるとか、他者にどこまで自分のことを明かすかといったような、精神的なラインもそう。
人は他者との間合い...「踏み込んでよい領域」「踏み込まれたくない領域」「踏み込んだらいけない領域」…を、普段から自然に調整していて、そのコントロールができていれば安心できる。
バウンダリーをコントロールする基本のこと
そういうバウンダリーと呼ばれるものは、自分と、他者なり対象物なりとの関係がどうであるかによっても違ってくるし、学習や経験、社会や文化の環境によっても変化するものだけれども、
では、バウンダリーをどうコントロールする?
自分の領域が侵される行為に対して適切にNO(ノー)を主張するためには? 人そのものにNOを言うのではなく、行為や言動に対してNOを主張するには?
簡単には、こういう5つのツールがある。
1.ルール
NOの意思や意見の詳細を「言わなくても済むようにする」
2.タイムアウト
NOの意思や意見を言うまでの「時間を作る」
3.アサーティブネス
NOの意思や意見を「明確に示す」
4.No Thank you のオウムちゃん
NOの意思や意見を「繰り返し示す」
5.仏の顔も三度まで(最終通告)
NOの意思や意見の「最終通告」
こういうツールを適切に応用するにはコツがあって、
自分が満たされるために、自分にとって必要なものを整理すること。
目的(理由)と手段(~する/しない)を一対にすること。
私は~と思う、私は~と感じる、私は~する…というふうに、伝えたい意思の先頭に『私は』をつける。つまり「Iメッセージ」で自分の意思を相手に伝えるということ。
さらには
考える、そう感じる、そう思う、予感する...それに「ん?」「あれ?」と思うことはないか? できごとに対する自分の反応や解釈を、冷静に、丁寧に整理すること。
相手に意思を伝えるときの言葉、言い回し、表情、声のトーン、身振り手振りのジェスチャーなどをていねいに点検しながら、ぴったり来る伝えかたを落ち着いて探すプロセスを持つこと。
一瞬の感情に振り回されるでもなく、そのときの直感だけに頼るのでもなく、むやみに短時間で答えを見つけようとはしないで、時間を掛けること。
つまりは
自分と丁寧にやさしく向き合うひとときを持つこと
ここに行き着く。
自分と「丁寧に」「やさしく」向き合うひとときを持つところから始める。そこから始めて、ここまでの流れをさかのぼっていくと、自分にとってのバウンダリーが見えてくるだろう。
マインドフルネスを習慣にすることで
自分と「丁寧に」「やさしく」向き合うには、自分を大切にするには、やはりマインドフルネスを習慣にすることで徐々にやりやすくなっていくようだ。
マインドフルネスにもいろいろとあるようで、
自分の身体のある部分を、自分のこころの目でやさしく見つめて、そこへ感情と愛を込めて微笑みかける
息を吸って見つめて、息を吐いて微笑む
自分の顔にも、他の強張りなどの違和感を感じる部分にも、同じように意識を向ける
こういうことを数分繰り返して、身体をすっきりと整えるという方法もあるようだ。こういうことを続けてみるのもいいかも知れない。
自分の気持ちや意見は、労力や時間を掛けて解明するだけの価値がある。
「ゆらっく」セミナーについて
以上は、石川県庁と金沢港の間あたりにある小さなコミュニティハウス「シェアマインド金沢」で、月に一度開催されているセルフケアセミナー
世界が変わる 学びと対話『ゆらっく』
の、2018年9月9日に開催された講義内容とレジュメからの引用に、自分なりのアウトプットを織り交ぜてまとめさせていただきました。ありがとうございました。
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ゆらっく とは…
ゆらっく:『あなた(You)』が、『楽に』なれる場所
「自分としっかり共にいる」
「自分の声に耳を傾ける」
「自分とゆっくり対話する」
講師は福多唯(ふくだゆい)さん。
女性護身術「Wen-Do(ウェンドー)」の、日本人初、かつ唯一のマスターインストラクターとして、女性専用のセルフディフェンスの普及活動に取り組んでおられます。企業や教育機関などでの教育・講演も多くの実績を残されています。
セルフディフェンスから派生した「いろんなパワー(外圧)に対する心的防御」として、日頃の自分の心持ちを整理する、また、自分の内なる声に耳を向けて、自分の思いや感覚を大切にすることが、日頃のセルフケアとしてスムーズに取り入れられるようになるためのセミナーでもある、とわたしは捉えています。
参加者数人レベルの場だからこそ、自分の思いを言葉にして話すことで、他者に共有してもらいやすい。それと同時に、自分自身にもはっきりと意識づけていくことができるようになる。そういう意義をも感じるのです。
日常のこころのセルフケアのヒントをやさしく知って体験することができる。それにはうってつけの場であると思います。