「師匠の教え」:勉強と教育
最近、日本の子供たちに英語を教えたり、マウイ島ハナ地元の子供を教える機会に恵まれている。精神的悩みを抱える子を受けもつ話があり、その話をすると、師匠がこのように教えてくださった。
「教育と勉強は別々のもの。『教育』は教えて育てること。『勉強』は強いて勉めること。勉めることを強いること。
『勉強』とは、「何故か」を追求すること。なぜ追求しなければならないのか。どの分野に進むとしても、「やった方がいいなあ」と自分で思うことが大事。その気持ちがどんどん強くなっていくと、やるべきことが自然に強まっていく。だからこそ、自分で勉強して習得する。
宿題しないなら、恥かいて来い。叱られるのも『勉強』。
本人がこういう感覚を気づき知り得る。すると、やりだす。
無理やり押し付けてもダメ。
何故自分がやるのかを子供達がつかんで行かなきゃいけない。
理解するのも『勉強』。
教科書も宿題も『勉強』の一部。
人に強いられるのではなく、自分で強いる。
なお、自然の力で脳を活性化させるのが大切。
勉強だけ、生活の仕方のみではなく、一緒に浜辺に座って、波を眺め、波が月の引力や風で起こることや、青い海の色は10種類ほどあることなど。山や森の緑々とした緑には、透き通るような薄い緑や、黒に近いほどの緑、ぼんやりした淡い緑など種々多様な緑色が8種類または8種類以上もあることなどを知り得る。それは気づきであり、その気づきから学ぶと私は思う。
自然の力、エナジーはそれだけの力をもってきた。心に響かせて、脳の開花と活性化を。そうすることにより、心の病の改善のエネルギーにもなりうる。それが改善へと導かれるエナジーなのではないか。子供達の才能を開花させるDNAスイッチが入るエナジーにもなるのではないかと。」
子供たちを教えることは、教師の学びにもつながる。私たちも子供の時にもっていたものをいつの間にか失って忘れてしまったりもする。そういったことを思い返したり取り戻したりすることの学びだと思う。教師はその子供達よりも長い年月を生きて来たかもしれないが、子供達のもつ純粋さ、素直さ、優しさ、何事も一生懸命に努力する姿勢などから多くを学ぶ。そして、子供達と接することにより、彼らの爽やかなエナジーで癒されているのだ。
今日の6歳の生徒さんに「好きなことは何?」と聞いてみた。以外にも、「木を切ること」という返事が返って来た。ゲームや恐竜のおもちゃなどをイメージしていた私には驚きであった。この子はお父さんの仕事を助けることに喜びを感じ、お庭の木を切って、おばあちゃんを助けてあげることに幸せを感じている。
自分がおもちゃなどで遊んで楽しむことよりも、とにかく助けてあげたいという心をもてるとはなんて自然な純粋さであり、大事な心だろう!見返りを期待せず、ただただ助けてあげたい、手伝ってあげたいという徳の心と本当の善の心。
私も自分の考え方を見直して、自分本位の思考ではなく、もっと広い視野で物事を見ることができますように。今日の生徒さんには大変参りました。