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11 我慢をやめる

娘は遺書を残していたわけではないので、死を選んだ理由は未だにわかりませんし、また原因を知ったところで娘が生き返る訳ではありません。しかし私が娘の死によって自分の人生を悲しくて残念に感じたことは間違いのないことです。

当然ながら、もう二度と同じ思いを味わいたくありません。嘆き悲しむだけでは、私は何も変わりません。何も変わらないでいいとは思えませんでした。もしそのままでいいのなら、こんな悲しいことを経験するはずがない。そんな気持ちで、引きこもり静かに時間を過ごしながらも、私は何か自分にできることがないか考えました。

私が二度と同じ思いを味わうことがないようにするためにはどうしたら良いのか。娘たちに「死なないで」と頼むこと以外にできることは何だろう?何かしてはいけないことをしていたのなら、それは何なのか?自分を責めるなら、具体的に何を責めているのか?責めてることがあるのなら、変えていかなくてはなりません。

幸い引きこもっている私には静かな場所と時間は十分にあります。そもそも変えられるのは自分だけ。自分のことなら引きこもって社会と断絶した絶望の底でも変えられます。

まず私は、ああしておけばよかった・・・、あれがなければ・・・という後悔をしないように、この先の人生は、自分の全てに納得して生きていこうという思いに至りました。悲しさは、自分のコントロールができない状況への反応ですから、この先も感じることがあるかもしれませんが、後悔は、生き方次第でなくせるはずです。社会との関わり方については既に書いてきましたが、自分との関係についても妥協せず見直そうと思いました。

そして私は自分のどんなところを残念に思ったのかを、明らかにしていきました。いろいろありますが、共通することは「我慢なんかするんじゃなかった」と言うことです。結局はその一言に尽きるのかもしれません。自分を変える第一歩は、「我慢をやめること」としました。

私は多少の我慢は当たり前のことで、社会でみんなが譲り合って生きて行く世界が良い世界だと思っていました。そして我慢をしてでも一生懸命真面目に働いて世の中のため人のために尽くしていたら幸せになると思っていたのですが、違いました。そんな生活に没頭していたら、ある日突然に自分にとって一番の幸せの象徴である娘がこの世からいなくなってしまったのですから。全然幸せじゃありません。

この生き方は違う。この生き方はやめなくてはいけない。我慢をして良い人になっても、絶望的に悲しいことは起こるのです。ならば、もう我慢をしてまで良いことをする必要などないと思いました。どうせもう引きこもりです。娘のところに行ける死も、怖いどころか望むところです。社会から嫌われたら、誰にも会わなくなってむしろラッキーだとすら思えました。

そして逆のことをしようと思いました。我慢した自分が不幸になるなら、我慢をやめたら幸せになるのかもしれない。その仮説を試してみる価値はあります。もう娘を失うようなことは絶対に嫌なのです。自分でやってみなければ本当のことはわかりませんし、その人体実験をすることが、私に課された義務のようにも感じました。他の二人の娘たちに死なないでもらうためなら、お安い御用です。絶対に自分のためにならない我慢はやめようと誓いました。

結論を先に言えば、私の仮説は正しかった。今までの我慢は一体何のためにやっていたのだろうと思ってしまいます。そもそも我慢とは自分を押し殺すこと。自分を生きられないで幸せであろうとすることの方が無茶なのです。なぜなら、幸せとは自分を生きることだからです。今はそれがよくわかります。自分を生きて幸せだからです。

我慢して身につけたことや、我慢していた時間が無駄だったとは思いません。そのおかげで、我慢していない状態をとても幸せに感じられますし、我慢しないとできないこともやったことがあると、今それをしてくれる人に感謝する気持ちが湧きますから、体験してきたことは良かったと思っています。

そして我慢してた自分のこともよく頑張ったなと思います。今の私ではもう我慢はできませんから、我慢する自分を経験した過去の自分にありがとうと言いたいです。そして、毎度のことながら、私に我慢をやめるきっかけをくれた娘には本当に感謝しかありません。

さて、実際に自分に課していた我慢をやめていくのには、何を我慢しているかに気づくことが必要です。あまりにも我慢するのが当たり前すぎて、何に我慢しているのかわからなくなっていましたが、娘の死のショックのおかげで、我慢していたことが、自分や我慢してた相手への怒りとなって現れてくれました。

怒りは、火山がマグマを吐き出すように、我慢で抑えていた不満を爆発させ、自分の内側を浄化してくれたのですが、驚いたことに、素直に出した怒りは自分を浄化するだけでなく、周りの人も変えていきました。火山によって丸裸になった山肌が、火山灰を栄養として新芽を息吹かせるように、私の周りの景色は変わっていきました。

では次から、私が我慢に気づき、怒りに変えて浄化していく様子を少しお話したいと思います。我慢しない方が幸せになるという実例です。そして今も我慢をしている人がいたら、すぐにやめることをお勧めします。我慢しても何もいいことないですから。

つづく

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