顧問の先生の一言で私の3年間は私の記憶から消えた。
私は、高校3年生の夏まで、ソフトボール部に所属していた。
思い出そうとすると鼻の奥がつんとするので、今でも苦い経験なのは間違いない。
だけど、ここで今の私が掘り返してやらないと、一生女子高生の私は救われないので、ここで吐き出してみようと思う。
先輩に誘われたから続けたんじゃなく他に取り柄がなかったから
当時、承認欲求の塊だった私は、入学当初160センチもないのに60キロを超えており、運動不足の解消と、優しそうな先輩に誘われて、
「こんな私でも必要とされている!私が入部すれば喜んでもらえる!」
そんな理由でソフトボール部に転がり込んだ。
ソフトボールも運動も好きではなかった。同級生の好感度をあげるための猫かぶりや駆け引きをするのも好きではなかった。
それでも部活を続けていたのは、一度始めたことは途中でやめてはならないという固定観念と、それしか自分に取り柄がないと思っていたからだ。
幸いだったのは、中学時代から仲の良かった友達が、もっと選択肢があっただろうに一緒に入部してくれたことと、その友達につられて4、5人クラスの中のカーストが上の方の女子がこぞって入部したことだろうか。
おかげで、クラスの中でまったく話せない友達がいないということは避けられた。中学時代いじめにあったことがあったので、めちゃくちゃぼっちには敏感だったのだ。
* * *
ただ、そう女子高生の気持ちはわからないもので、部活では仲がよくてもクラスでは全く会話をしてくれないという女子もいた。
私と話すのは退屈なんだろうか。
でも、退屈なだけならなんで部活では話してくれるの?
思考と行動原理がわからないまま、この子は本当に同じ人間なんだろうか?と思いつつ、部活終わりにみんなで食べにいくご飯の時間だけが自分が仲間と認められている気がした。
部活動の方はどうかというと、
これまで運動部に所属したこともない私は、競争とか勝ち負けにこだわりがなく、
ていうかどうせ私じゃみんなの運動神経には勝てないだろ、と思っていたので案の定レギュラーになったことはなかった。
試合中では私はもっぱら荷物運びと応援係。勝ってもレギュラーの輪に入り喜びを共有できるわけでもなく、試合の日は荷物運びと応援をしにきている人だった。
私を誘った先輩は先輩で、運動神経が良くてかわいい女の子ばかりかわいがり、私は「最近声かけてもらったのいつだっけ?」というレベル。
そうか、世の中には才能や容姿で態度を変える人がいるのか。
自分がそうしないとは言い切れない。だけど、当時の私はソフトボール部に入る原因となった先輩に、私を大切にする責任を求めていた。
先輩からしたら、知ったことではないだろう。全部、自己責任だ。
だけど、
なんであの子は大切にされて、私は大切にされないのだろう。
あの子にあって、私にないものはなんなんだろう。
ずっと、悩み続けて自分の部屋で泣くこともあった。
才能も伸びません。部活も楽しくありません。やめます。
そう言うのは簡単だったが、誰も他にやめた人がいないので、真っ先に脱落するのはかっこわるくて、変なプライドでなんとかしがみついていた。めちゃくちゃ泣くほど嫌な癖に。
ただ、今思い出しても嬉しかったエピソードがひとつだけある。
「◯◯、最近痩せたよね」
ある日、夕食を部活仲間と取っていたとき、違うクラスのHちゃんから言われた一言だ。
当時、私の体重は50キロ前後であった。入学してから1年後のことだった。
ソフトボール部の活動を通して、10キロ痩せたことになる。
その時だけは、周囲の同級生から「確かに!」「羨ましい!」「いいなー!」ともてはやされ、なんかめっちゃ嬉しかった。
お前ら調子のいいことばっかり言ってんじゃねーぞ!普段はまともに話題の中心にもしないくせに!
たぶん胸の内側でそんな言葉も思い浮かんだが、
悲しいことに、それだけが私にとってソフトボール部を続けていて良かったと思えるたったひとつの出来事だった。
この経験があったので、後の大学生活でもリバウンドしないよう運動部に入部することになる。
ただ、ここでは記述しないが大学生活も波乱であった。
* * *
それからというものの。
3年生になり、受験勉強のため春で引退していくこれまで一緒に部活をしてきた同級生たち。
そんな中、引退されると試合の人数が確保できない危機的状況にあった部の期待に応えるため、私は夏まで残ることにした。
私は感謝された。これで試合に出られると。
私も嬉しかった。みんなから必要とされていると。
ただ、これは私の意地にすぎなかった。今まで同級生の誰にも勝てなかった自分に、偉いといえるなにかが欲しかった。
ただ、その日は突然訪れる。
死刑宣告の日
退部の日、私は驕るつもりはこれっぽっちもなかった。
いつもの練習をしているグラウンドで、円になって、とうとう私に順番がまわってくる。
胸がどきどきしていた。話したいことは、決まっていた。
最後の挨拶で、私はこう語った。
今までありがとう。私が何かと不器用で、運動音痴で、ボールもまともに拾えず、みんなに迷惑をかけてばかりだった。それでも最後まで支えてくれてありがとう。
みんなが思っていただろうことを自ら口にすることで、少し楽になった。
ただ、顧問の先生からの言葉で、私は耳を疑う。
「いやー、本当に大変だった!◯◯は3年間下手だし、全然うまくならなかったよね!」
一言目が、それだ。
(・・・・・・・・・・?)
それ以降の言葉は、あまり覚えていない。
その先生は、女子生徒から大変人気で、これまで何度も部活で助けられてきた。決して嫌いな先生ではなかった。
だけど、その言葉を聞いた瞬間、
これまでずっと、心の中で、ずっとそう思ってきたんだ。
私のことをそういうふうに見ていたんだ。
そう思ってしまった。
同時に、私が先生に大変だと思われるような手のかかる生徒だったのかとひどく傷ついた。
誰にも迷惑をかけないように、地味に、こそこそと生きてきたつもりだったからだ。
そこで、私が意地で続けてきたソフトボール部の3年間は、終わった。
グラウンドに蹲ったままの私へ
あれから、もう10年くらい経つ。
女子高生のわたしは今でも、グラウンドに三角座りして呆然としたままだ。
今、はじめて考える。
私はあのとき、顧問の先生になんて言ってほしかったんだろう。
頑張ったね。
3年間続けてくれてありがとう。
最後まで残ってくれてありがとう。
それだけでよかった。
それで、私の3年間は報われたはずだった。
今の私の言葉が当時の私に届くかどうかはわからないけど、
あなたが一生懸命頑張ってきたことは、決して比べられたり、無駄になったりすることではないと、強く胸を張って言い続けたい。
そして、顧問の先生。
あなたから見たら苦労のかかる生徒だったのかもしれないが、あなたを信頼して頑張ってきた生徒が最後まで尊敬する先生でいてほしかった。
精神が成熟した大人ならそつなく受け止められたかもしれないが、高校生はまだ未成年だ。
あなただけが悪いとは言わない。
だけど、あなたが言った言葉は私が何度も反芻し続けて飽きるくらい脳裏に浮かんだ言葉だったんだ。
うまくなりたかったよ。
運動神経があったらいいなと思ったよ。
それは本人が一番わかってるから、どうかぐっと飲み込んで労ってほしかった。
だから、私はあなたと違う道を選ぶ。
私が誰かに教えを説くときは、
私に子どもが生まれたときは、
どんな結果であれ、本人がどういう考えであれ、
私は感謝を伝えたい。
おわり。