見出し画像

「沈黙する教室」

ディートリッヒ・ガルスカ著・大川/珠季訳 2019年5月 アルファベータブックス
 

 
映画『僕たちは希望という名の列車に乗った』の原作。
1956年の東ドイツで、ハンガリー動乱のニュースを知った高校生たちが教室で黙祷を行い、それが思いもよらぬ波乱を引き起こす。

著者は実際に黙祷を行った生徒の一人で、本書はニュースで紹介されたことなどをきっかけに2007年に書かれ、当時の級友や先生などと再会したり、面会してインタビューした記録を元にしていますが、映画がプレミア公開された2か月後の2018年4月に著者は病没したとのこと。

映画では舞台をポーランド国境に近い架空の街スターリンシュタットに変更されていますが、実際の舞台はベルリン南東部に隣接するシュトルコーという町。
また、登場人物たちの親の職業なども映画では変更されていますが、事件の概要は概ねトレースされています。
実際に黙祷が起きたのは2回で、2回目は自習時間中だったため、問題となった黙祷は1回目の授業の際のようです。黙祷は映画では2分でしたが、実際は5分。

この本は小説というより記録といった体裁で、さまざまな文章や証言を引用しながら時系列的に記録されていきます。
本人についても当然記述がありますが、殆どの部分では「私」でなく「ディートリッヒ」または「ガルスカ」で、最近の事象については「私」が登場しますが、完全に統一されているわけではありません。
記述についても状況の再現であったり、単なる記録であったりと、全体が同様の書き方で統一されているとは言い難いので、あまり読みやすい著作とはいえません。

とはいえ、やはり、戦後10年を経て、東西分裂が決定的になったときに、誕生間もない東ドイツ国内での言論・思想統制の実態がリアルに伝わってくる内容には戦慄を覚えます。
たかが高校生のちょっとした行動にシュタージが徹底的な捜査を行い、首謀者や背景、教唆した可能性のある教師の追及など、この頃既にソ連式の国家統制が完全に機能していたことを物語るものです。
検問があるとはいえ、東西で人の行き来ができるという状況は、生まれたときには既に壁があった私などにはちょっとピンと来ない面があるのですが、極東で実際に東西対立が朝鮮戦争という形で戦火となって顕在化していたとはいえ、1961年に壁ができる5年も前でこの状況であれば、壁が出来るのは既に必然であった、というより、壁が出来るのがむしろ遅かったといえるかもしれません。

また、それが統一後にシュタージの記録文書が発見され、破棄されることなくこうして日の目を見ることができるというのもドイツという国の几帳面さの表れであるとすれば、これまた興味深い話です。

映画では事件のその後については最後にキャプション1行で記述があるのみですが、本の方では約半分がその後の顛末についての記述であり、黙祷した高校生たちがその後どうなったのかが記録されています。
また興味深いのが、当時の高校の教師たちのその後も書かれていることで、その多くが当局から疑いの目で観られたり、指導者として相応しくないとの理由で閑職に追いやられたりといった、不遇をかこつ結果となっています。
統一後に著者と再会し当時の模様を慎重に語る教師たちの言葉には、東側で社会の仕組みから落伍することの恐ろしさを如実に感じることができます。
西側が全ての点で東側よりも良かった、などとはいえないことも多々あるとはいえ、やはり、この方面での圧倒的な東西の格差については認識を新たにする思いです。

私が子供の頃など、社会主義は西側の対立軸として永久に続くものと思っていましたが、少なくともヨーロッパにおいては過去のものとなり、こうした埋もれた事実が明るみになることは素直に良かったと思います。
あからさまな抑圧体制というものはつい最近まで、世界的にみれば減少傾向にあるのではないかと思っていましたが、今やポピュリズムという低レベルで恐るべき狭量な価値観が世界に溢れ、まったく次元の異なる低レベルで極めて悪質な状況が世界の至る所で拡大し、また資本主義vs社会主義といった方向性は異なるものの、社会システムの相違といったある種の論理的な対立軸とはまったく次元の異なる、事実かどうかなどどうでも良いイメージで敵味方を峻別する驚くべき社会に突入した中での新たな覇権主義というべきものが横行するなかで、今後はむしろ増加するのではないか、という危惧を抱くのです。

思想的なある種の先鋭化の中で行われた不当な迫害が、こうしたことが過去のものとして語られるようになるまでにどのくらいの人々が苦しんだのか、そこに思いを寄せることはこういう時代だからこそ大切なことだと考えます。

いいなと思ったら応援しよう!

この記事が参加している募集