だから写真に恋をする。
おばんです。
友人の猫撫が、フリーな日記を書いていたので、真似して僕も書いてみることにしました。よかったら休憩時間やおトイレ中にでも読んでみてください。
先日、好きな人ができました。愛情ではないナニカです。これは愛と呼んでいいのでしょうか?僕は、勝手な片思いが好きなので、実らなくていいのですが、ハートフルなことだったんで書いてみます。書いていいのかわかりませんが。
お相手というのは20代の若き女性です。それ以上は何も知らない、ということにしておきましょう。彼女は僕に無いものを持っています。容姿、性格、思想…などなどここでは語り尽くせません。しかしながら僕は女性が苦手です。ただ、同性愛者ではなく、僕は完全な異性愛者だということだけは忘れないでください。
先日、彼女に告白をしました。付き合ってくださいとか、これからも一緒に…だとかそんな告白じゃなく、愛おしく感じますとただ一言だけ。彼女は驚いてました。目がくりくりに動いて恥ずかしそうだったことを今でも鮮明におぼえてます。とても愛おしくて、『ありがとうございます。』とちょっと高めな声で言われたことがすごく大切な思い出です。
僕は女性が苦手だったのに、彼女を好きになったのは理由があります。
それは彼女が僕と話してくれたことです。
彼女のプライバシーがあるのでいろいろ書くことはしませんが、それは僕にとって久々のトキメキでした。話や悩んでいる顔、必ず話す時は目を離さないところ。そしてなにより笑顔で話すところに一目惚れしたのかもしれません。
ただ、全てはハートフルだと嬉しいのですが、僕には大きなハードルがあります。それは女性で、僕には将来を見据えたパートナーがいて、なおかつ必ず別れはあるということです。
一緒にいたい,もっと過ごしたい、もっと見てくれよ。だなんてことは言いません。だって、彼女の将来は、もっと明るいと思うからです。もっと恋をして、もっと誰かに抱かれ、もっと好かれ、将来は結婚をして欲しいものです。
実は、昔も同じようなことがありました。その時は,写真の中で自分の気持ちを出していればおけばいいと思っていたんですが、しばらくして知り合いの異性の写真家と仲良くなって、僕の居場所がなくなったように感じ、僕から距離を取りました。馬鹿な話ですが、彼女を僕なんかの気持ちで縛りたくなかったからです。その写真家は彼女の映った写真を本にしていました。彼女のあどけない表情は今でも変わりません。
今でも、僕が撮った彼女写真を見ます。写真の中では当時の彼女のままで、いつまでも僕だけを見てくれるのです。それは嬉しいこと。
ただ、時が私の好きな人を奪い去ります。僕とのツーショットはいつしか異性の誰かに代わってしまっている。でもいいのです。これが一番いいと思うから、自分で選んだ道だから。
いつしか、好きな人にそれを話していました。涙ぐみながら話す僕に寄り添って『一歩、踏み出しましょう?寂しくないように。一緒に行きましょう。』と声をかけてくれました。僕は涙を拭き、彼女を撮りました。僕の目を観ながら、手を引っ張ってくれたこと。その時初めて物理的な触れ合い以外での性行為をしたと思います。彼女との一定の距離感で、見つめ合い。無意識に押すシャッターで本能に撮った写真は600枚以上を超えていたと思います。
だから僕は写真に恋をしていると思いました。いずれ別れがきていても、その写真の中では彼女がまた僕に寄り添ってくれるから。
写真を撮るOLです。