離れたくなかった!火を起こす魔法の道具、愛用した竹の火吹き棒・・・田舎暮らしラプソディーその④
思いもよらない展開で東京→茨城の山奥へと引っ越すことになった今から30年前の人生備忘録。
「田舎暮らしラプソディー」は1992年の暮れから1996年に体験した30代前半の時の田舎暮らし経験を、2001年にあるミニコミ誌からインタビューを受けて記事になったものに追記して書いたものです。
住んでたところは米どころだったからお米をよくもらいました。
田舎でお米をつくっている人は玄米で貯蔵して、食べるときに精米するのが当たり前だから、
「つきたてのおいしいお米を食べて~」
と玄米をよくもらいました。
でも私たちには精米機がなかったし、食べるたびに精米する習慣もなかったので「玄米で食べてみよう」ということに。
そこで気づいたのは、玄米は洗わなくて済むということ。
ということは排水が減るということでした。
とぎ汁には独特の油膜があるため水に浸み込まなくて、土がべとべとになるのです。
そして食べてみるととても腹持ちがいいのです。
今まで2膳食べていたところが1膳になるくらい。
朝のご飯が少し残り、それまで薪で3度毎回炊いていたごはんが
1日に2回となり経済的でした。
また玄米で食べることは私たちの生活の理にかなっていることに気づいたのです。
薪で煮炊きをしていたのですが、田舎暮らしの最初のころは、薪に火をつけることさえできませんでした。
薪を乾燥させるということすら知らなかったくらいです。
最初はどうしても火をおこすことができなくて、近所の子供を家に呼んで火おこしをてもらったこともありました。
それが最後には、食事のすべてを薪で賄えるほどにまで上達してしまいました。
田舎暮らしを引き上げるとき、最後の最後まで捨てることを迷ったものが竹で作った「火吹き棒」
でも都会の生活ではまったく必要のないもので、泣く泣く置いてきました。
竹を長さ35Cmくらいに切り、中を貫通させ筒にしたものです。
この単純な道具が、我が家の火おこしに欠かせないものでした。
もちろん手作りです。
かまど代わりに使っていた時計型ストーブと、お風呂を沸かす釜とに2本あって、息をこれで吹き込んで、小さな火を大きくする。
魔法の道具でした。
うちわなんかよりもっと的確に火種に風を送れるので手放せなかったですし、面白いように火を操れる。
日常的に使っていましたし、この棒とは一心同体でしたから、別れが本当に悲しかったです。
当時は、巻きが山ほど積んであるのを見るよ羨ましくてしかたなかったです。
「あーーこの家、豊かだなぁ~」って。
豊かさのベクトルが今とは全然ちがってましたね。