僕はおそらく「人生のレール」から外れることになる
はじめに
おはようございます。
6月20日土曜日完全なる曇り。
ここ1週間くらいは毎日曇っていて、時折雨が降ります。
いくら北海道とはいえ、梅雨がやってきたのでしょうか。
そもそも、これが梅雨なのか??
(道外のいわゆる「梅雨」を経験したことがないので、、、)
そんな中、初めて朝にnoteを更新してみます。
標題のとおり。
「人生のレール」についてです。
それではよろしくお願いします!
「人生のレール」とは?
「人生のレール」と聞いて、何を思い浮かべるでしょうか。
人それぞれあると思います。
僕は現在23歳ですが、
高校卒業後は4年制大学へ行き、卒業と同時に就職。
60歳までその会社で働く。
その中、30歳くらいで結婚。
定年後は、退職金と年金で悠々暮らす。
こんなイメージです。いわゆる固定観念。ステレオタイプ。
人によっては、子供に囲まれた生活とか、もろもろオプションが違ってくるのかも。
僕が小さい頃は、小学校とかで「〇〇歳に結婚する」とか紙に書かされてそれがあたかも共通の正しい「夢」であるかのように先生へ提出した記憶もあるし、高校ではおそらく全員が大学や専門学校へ進路を決め、「就職」を選んだ人はいなかったと記憶しています。
高校生くらいまではこのようなレールが「正しい」と擦りこまれてきた一方、大学に入学すると、世界一周するために1年間休学した友人や、就活を行わず、北海道の地方創生に関与する団体で活動する友人がいたりなど、自分の中にあったレールから外れている自由さに初めて目の当たりにしました。
最近では結婚観や恋愛観は本当に自由な考え方が広がったり、就活をしない人、結婚をしない人も増えていますよね!
なんとなく、僕はその共通で認識されてきた人生のレールと、現在の自由さの狭間にいた年代だと感じています。
そして僕は、「人生のレール」から外れることは何か「ダメ」なことと思い続け、自由さなんてまるでありませんでした。
レールから外れる=才能??
なぜ僕は小さいころから擦りこまれてきた「人生のレール」にいまだ縛られていたのでしょうか。
おそらくそれは、「人生のレール」から外れる=才能のある人たちと考えていたからです。
逆に言うと、僕にはその才能はなく、すべてが平凡。
だから「人生のレール」に乗るしか選択肢がない、という感じです。
TVではよく、アーティストやスポーツ選手、経営者などの才能ある人物のドキュメンタリー番組が流れます。そこに映る方々は、みんな、「レールを築いた」人たちで、自分とは別世界の人たちだと思っていました。
つまり、「才能」ばかり見ていて、その陰にある無数の努力を見ていなかったのだと思う。非常に暴力的なことだと思っています。
努力を見ずに、自分はなんて平凡なんだ、と思っていたから、僕は自分は「人生のレール」に乗るしかないと思っていました。
適応障害になってから
そんな僕は今、適応障害と診断され、もうすぐ休職2か月が経とうとし、僕の中に擦りこまれてきた「人生のレール」から外れようとしています。
というか、半ば強制的にレールから降ろされた、といった感覚です。
休職し、会社に貢献することもなく、社会に貢献するでもなく、「自分はいったい何をしているのだろう」と毎日悩んで、時にそれが体調に表れています。(これじゃあ病気の回復が遅れるばかりですね。)
高校卒業後は4年制大学へ行き、卒業と同時に就職。
60歳までその会社で働く。→今は定年伸びていますね。
その中、30歳くらいで結婚。
定年後は、退職金と年金で悠々暮らす。
僕はこの擦りこまれてきた「人生のレール」から降ろされ、今はどこのレールにも乗っていなく、どこに走ればいいか彷徨っています。
無論、もとより「レール」なんて存在せず、ひとりひとり自由なはず。
ただ、これまで擦りこまれてきたものが深く、頭ではわかっていても、
なかなか行動できずにいます。
もどかしい日々が続いていますが、なんとか自分の道を発見し、少しずつでもいいから歩けたらいいなと思います。
まずは、病気を治すこと!
おわりに
お読みくださりありがとうございます。
非常につたない文章ですし、未熟者だとは存じておりますが、
今後ともよろしくお願いいたします。
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