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46歳で 人気俳諧師からホームレスへ! 松尾芭蕉の流儀【役に立つ古典】

皆さんご存知の松尾芭蕉さん

この人、46歳にして都会生活を捨て
旅に出るという思い切ったことを
した
わけです。

人気の職業俳人として生きてきた芭蕉

しかし、そのままの生き方を良しとせず
我が道を行ったわけです。

今日は、そんな芭蕉さんの流儀を
こちらの本から紹介していきます。

四十にして区切らず

芭蕉さんの話に入る前に
ちょっと『論語』の話をします。

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『論語』の元ネタの孔子さん

まずは、この『論語』の
有名な一節
を紹介します。

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前掲書 Kindle位置No.399

赤線部のところは
『40歳で迷いがなくなった』
という意味で理解されていますが

実は、意味が違ったというのです。

『四十にして惑わず』の『惑』の字は
孔子の時代には無かった
というのです。

では、孔子は本当は何と言っていたのか?

『惑』ではなく、同じ読み方の
『或』と言っていたのだと、
本書の著者は言います。

『或』の意味は『区切る』すなわち

40歳にして迷いが無くなった
ではなく
40歳でも、自分の枠を区切らない
=チャレンジをする

ということを言っていたのです。

そうして50歳で天命を知るのです。

松尾芭蕉の流儀

その「四十にして区切らず」を
日本で実践したのが松尾芭蕉
でした。

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46歳でホームレスとなった松尾芭蕉

職業俳人という枠にとらわれず
自分の行きたい道に
チャレンジしたわけです。

そんな松尾芭蕉の流儀が3つあります。

1,場所を変える

ピンチを乗り切る方法
自分の殻を破る方法です。

今いる場所を離れ
全く違う場所に行く
ということ。

芭蕉は自分の殻を破るため
ふるさとの伊賀を出て江戸へ
都会の日本橋を離れ深川へ
深川を捨てて「おくのほそ道」の旅へ

それぞれのステージで場所を
変えて
いきました。

他の人からは「逃げ」に
映ったかもしれません
ただ、それでいいのです。

逃げずに潰れてしまうくらいなら
自分を変えるために場を移す

芭蕉は、全てを捨てて
ホームレスになることを
厭わなかった
のです。

2,古典を知る

芭蕉の作品には
能や、源氏物語、平家物語の
影響が出ている部分があります。

自然と強く繋がる日本の古典のレンズを
得ることで、芭蕉の作品は
より一層味わい深くなっている
と言うことです。

古典のレンズを得ることで
芭蕉のように、人は自然と繋がりながら
物事を見られるようになる
のです。

3,俳諧的に生きる

制限の中でいかに楽しく生きるか
という話です。

俳諧的に生きるとは
あらゆることを
和とユーモアの視点で読み直す

ということです。

目の前のトラブルを
楽しく解釈し直す
ということです。

旅の途中で雨が降ってきたときに「ああ、雨の中を歩くのはイヤだな」と考えてもいいし、芭蕉が那須で降られた雨を思い出して、「この雨が上がったら能の世界が出現しているかも」なんて想像しながら楽しく歩いてもいい。

前掲書 Kindle位置No.867

このような「楽しい解釈」のために
環境と、自分の媒介として
「古典」を知ることが有用だ、

著者は述べています。

まとめ

孔子曰く
40歳でもチャレンジしよう!

松尾芭蕉は
46歳でホームレス化して旅に出た

そんな芭蕉の流儀は
・自分を変えるために場所を変える
・古典を知る
・和とユーモアに生きる

今回紹介しなかった2つの古典を含めて
動画で紹介しています!

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